動物に関わりたくて、単身岩見沢へ
出身は北見です。中学校までを北見で過ごし、卒業後は親元を離れて岩見沢にある全寮制の農業高校に通いました。もともと幼い頃から動物が好きで、「動物に関わる仕事に就きたい」というのが将来の目標だったんです。
それであるとき、母と中学卒業後の進路について話をしていたら「将来のことを考えて好きなことをやったほうがいいよ」と言ってくれて。動物について専門に学べる学校に通うことを決めました。
調べてみると道内には専門的に学べる学校は三校ほどなく、場所はどこも道東と真逆の札幌近郊。そこで岩見沢で寮生活を送りながら、学校へ通うことになったんです。
高校は農業・食品・森林など7つの学科があって、僕が入った畜産課では専門に学ぶ動物を牛・豚・ニワトリの3つから選択するです。
当初は「なんとなく」牛を選ぼうと思っていたんですが、豚とニワトリそっちのけで牛に希望者が殺到してて。世間一般的に、豚ってどうしても「臭い」とか「汚い」ってイメージがあるじゃないですか(笑)。鶏も「苦手」って人が結構多いですし。それで「じゃあ豚でいっか」と(笑)。
あくまで僕の目的は「動物について学ぶこと」だったので、対象が牛であろうが豚であろうが、関係なかったし、なんでも良かったんです。
未来を切り開くSSH、研究に取り組む
学校では通常授業に加え、特別クラスで大学や研究機関と一緒に豚の繁殖に関する研究をしました。特別クラスはSSH(スーパーサイエンスハイスクール)という、理数系に特化した人材の育成を目的とした文部科学省の制度対象者からなるクラスです。
僕を含めた豚選考の生徒は、このクラスで「豚のプロジェステロン濃度」についての研究に取り組みました。簡単に言うと「豚の発情周期を数値で表して、発情発見や妊娠鑑定に活用しよう」という研究内容です。
たとえば1,000頭などたくさんの豚を飼育する農場で、一頭一頭の発情を見て回るのってとても大変じゃないですか。数値化できれば、それをデータ化して可視化することで、もっと効率的に作業を進めることにつながる。
既に大型種の豚ではこれに近い研究が発表されていたんですが、中型種では未発表だったので、学校で飼育している「中ヨークシャー種」という、日本では飼育数の少ない豚を研究対象としました。
ちなみに牛では既に搾った生乳の細胞から発情などの判定を行う研究が発表がされていますよ。
勉強は将来の肥やし
特別クラスの生徒は、通常クラスより授業数もやることも多いので、高校生活は勉強漬けでしたね(笑)。距離が距離なので、実家があった北見にも夏や冬の長期休みくらいしか帰れなかったですし。
そんな3年間だったので大変といえば大変でしたが、「辛い!」と思うことは全然ありませんでした。
そもそも動物が好きですし、加えて全く無知の状態から、授業や研究を通して新しい知識が入ってくると「未知の世界を切り開いている」って感じで、むしろ毎日が楽しかったです。身に付いた知識や情報を研究に活かして、それが結果に現れることにもやりがいを感じていましたしね。
授業や研究に加えて、体づくりにも取り組んでいました。というのは、将来的に動物に関わる仕事に就くことを考えると、どの職種に就いたとしても朝が早くて体力も必要になります。
そこで、寮の朝の点呼が始まる前の朝5時には起床し、豚舎で発情兆候を見せている豚がいないかのチェックに出ていました。いざ働くことになったときに、いきなり生活リズムを変えるのは難しいので、体を慣らしておきたかったんです。
そういう意味では勉強を、勉強というよりも「仕事」として意識している部分はあったのかもしれませんね。それに「両親が高い学費を払って通わせてくれているんだ」と思うと、中途半端にはしたくなかったし、ここで学ぶ全てのことを自分のものにしたいと思っていました。自分が選んで進んだ道である以上、無駄な時間は絶対に使いたくなかったんです。
現場の人に勝つには
高校卒業後は、そのまま就職しするもつもりでした。でも周囲や高校の先生から勧めや、推薦で入学できるというのもあったので、「とりあえず」入ってみようと、札幌の大学に入学。推薦枠で特待生に選ばれて、さらに資格も取得したので半年間の授業料が免除になったので「試しに」です。
でも大学というものに期待しすぎていたのかもしれません。半年後には、大学に通うことが僕の場合はあまり必要なかったので中退しました。というのは、他の大学がどうかはわかりませんが、僕が入った学部では研究に関われるようになるのは3年に上がってからで、大学生活の半分は授業を受けるだけで。
こういうと語弊があるかもしれませんが、僕にとって大卒のメリットって「給料が高い」ってことくらいだったんです。4年間で大卒のカードが手に入る代わりに、4年間現場で働いている人より知識をつけることも経験も遅れる。早いうちから現場に出て働いている人に勝てない。
それで「同じ4年間を過ごすなら、大学に通うよりも現場で知識や技術を身に付けたほうがいい」と思ったんです。学歴は高卒になって、最初こそ大卒の人よりも低い給料からのスタートですが、「何年か後には絶対に超えられる」って自信もありました。
将来的なことを考えると、大卒という肩書を得ることよりも現場で働くことのほうが僕にとって価値のあることだったんです。
中退後はアルバイトをしながら、就職活動。
当初は高校時代に取り組んだ豚関係の仕事に就くことを考えて、それ関連の会社も見に行きました。でも実際に現場に行ってみると、「わからない知識」があまりなくて。
高校で豚について嫌という程勉強して、先生にも負けないくらいの知識を身に付けていたので、刺激を感じなかったというか…。自分の中で豚に関してはもう「やりきった」ってことだったのかもしれません。
そこで新たな未知の領域、僕がまだ知らない世界として「牛」を選んだんです。
浜中へ、牛の世界へ
岩見沢に移ったときもそうだったんですけど、目的があってそれを達成するためであれば、働く場所にこだわってはいませんでした。
牛に関する仕事を探して、最初は浜中町のある牧場に就職。それから3ヶ月ほど経ったときに、酪農ヘルパー会社の「牛や」が立ち上がることになり、ヘッドハンティングされる形で転職して今に至ります。
牧場での仕事は、高校時代に体作りしていたとはいえ、最初は辛かったですね(笑)。高校のときに牛の移動を手伝ったことがあったくらい触ったことはあっても、搾乳などの実作業はしていなかったですしから。豚は搾乳もしなければ、蹴られることも無いですからね(笑)。
最初の一年はとにかく作業を覚えることに費やしました。夏と冬で作業も違いますし、日々たくさんの知識や経験が必要なので、覚えることも多いですし。それに「牛や」はヘルパーとしていろんな牧場に行くので、それぞれやり方が違ったりしますから。
職場は一般に比べると相談をしやすいし、直接社長と話すからこそ意見を取り入れてもらいやすいなと感じます。2年経って少しずつ経験値があがってきたので、だからこそ「この牛はこうだからこうしたらどうでしょう?」って提案でもできるし、「それいいね」って取り入れてもらえる。そういことって、普通に会社で働いていたらそうそうあることではないじゃないですか。ある意味とても働きやすいですよね。自分が考えたことが実際の現場で実践できるのも、新しいことを学ぶのにすごく良いことだと思いますし。
大学中退を決めた、「早く現場で知識・技能を身につけるほうがいい」という考えは間違っていなかったんだとつくづく思いますし、良かったと思います。
自分のエネルギー100%を牛に
豚のときのように、牛を「やりきったな」って思えるかどうかは…「もうこれ以上身につけることはない!」ってくらい知識・技術を習得できたときだと思います。もちろんそれって簡単なことで絶対にはないし、もしかしたらてっぺんなんて無いのかもしれません。
僕の感覚では、たとえば…機械のほうが先に牛の異常を見つけるとか、「自分じゃない誰かが最初に〇〇」ってことが無くなったら、それがその時なのかなぁって。
「機械や他の人が」っていうのは仕事としては効率の良いことだし、全然悪いことではないんです。でも「なんで自分が気づかなかったんだ…」って思ってしまうんですよ。
僕らの仕事って「牛を見ること」で、変化や異常に気づけなかったら、それは「仕事がしっかりできてない」ってこと。発見が遅れたために注射一本で治るようなものが、死を招く結果になってしまうことだってある。だからこそ、牛の仕事をしている以上僕の生活は、エネルギーを100%牛に注ぐくらいの覚悟じゃなきゃいけないと思っています。
それができるようになって初めて、「やりきった!」って思えるのかなって、今は思います。
田舎体質
北見や札幌で暮らしていたので、浜中町に移住してきた当初は「なにもないなぁ」っていうのが、やっぱり最初の印象でしたね。
ただこうやって何箇所か住む場所を変えたからこそ思うのは、都会ってやっぱり冷たいと言うか。「人と関わることが少ないな」って思っていたのであまり好きではない方ですね。この辺は空気も澄んでいて、動物もたくさん暮らしていて、「今日ご飯行こうぜ!」とか「今日うちにおいで」っていう距離の近い人間関係の方が暖かくて僕は好きなんです。田舎生活の方が僕の性質には合ってるんでしょうね。何も無いぶん不便はするけど、そういう面で良いところはたくさんあると思います。
いつだって未来が楽しみ
いまこうやって牧場の仕事をしていますが、ずっと続けるってつもりはないんです。
というのも中学生の頃から「いつか世界中を旅する」って目標があって。その後の自分の人生をどのように方向づけるか、なにを目標に一生を過ごしていくか、期限を決めずに結論が出るまで世界中を周りたいんです。
世界中にはいろんな人がいて、いろんな場所があって、まだまだ僕の知らないこともたくさんある。好奇心が強いので、自分がいままで生きてきた世界以上のことをもっともっと知りたい。これは中学の頃からの夢で、何年かかろうと絶対に実現したいんです。
この目標が仕事へのモチベーションや、楽しさにもつながっています。なにを頑張るにも、それは全て様々な形で必ず自分の未来につながっていますから。
いまを楽しく生きるためには、いまから先の未来のこと」を常に考えることが大切なんだと思うんです。高校の時も「動物の仕事に関わる」という未来を思い描くことで、その時やっていること全てが意味あるものになるのがすごく楽しかった。大学を中退したのも、「現場で知識を身に付ける!」って思いで動いて、それがいま実現して充実した日々が送れている。
先の未来を想像して生きるいまも楽しい。そしてどんなことが起きるか、この先どんなことが待っているのか。常に未来が楽しみですね。
2019年4月15日収録インタビュー、撮影、テキスト:倉持龍太郎
過去の写真の提供:山川凌央