——自己紹介をお願いします。
祐子さん:小川祐子です。大阪で生まれ、大学卒業まで大阪で過ごしました。北海道に移住したのは大学を卒業した2009年に産業動物の獣医師として就職したことがきっかけです。夫とは江別市で行われた新人研修で知り合い、交際を始めました。最初は道南と別海町で遠距離恋愛をして、時々私が別海町に通っていました。そのころからパイロットマラソンに参加していたので、どのような町かは知っていました。2年後に夫の元へ私が移り住み、それから11年間別海で暮らしています。
輝さん:小川輝です。1985年滋賀県生まれです。大学卒業と同時に2009年に別海町に移住してきました。私も産業動物(牛)の獣医師として働いています。
——「産業動物獣医師」という牛などの専属の獣医師さんなんですね。小さいころから牛が好きだったのですか?
祐子さん:小さいころから動物は好きでしたが、牛が特別好きだということはなかったですね。たまたま就いた職が産業動物獣医師だったという感じです。大学の獣医学科で6年間勉強した後、国家試験に合格することで獣医師になることができますが、産業動物獣医師になる人は1割以下ととても少ないので、産業動物獣医師は常に足りていないのが現状です。それもあって比較的就きやすい職だと思いますよ。別海だけでも100名ほど産業動物獣医師がいると思います。
——町の基幹産業を支える産業動物獣医師は、どのような仕事なのでしょうか?
輝さん:簡単に説明すると、一般的な動物病院のように来院してもらうのではなく、朝の受付で申し込みのあった農場に午前中は往診し、午後からは手術やカルテの作成などを行っています。手術は主に、第四胃変位(牛には4つの胃があり、その4番目の胃にガスが溜まってしまう病気)の整復術、帝王切開、子牛の臍ヘルニアなどがあります。乳牛の診療が多いですが、肉牛や馬の往診も行っています。
ただ私の主な業務は少し特殊で、牛が妊娠できるお手伝いをしています。牛の産婦人科の先生という感じですね。事前に予約のあった農場へ行き、超音波検査で卵巣と子宮の所見を取ったり、妊娠診断や雌雄判別をしています。
——お休みの日はありますか?
輝さん:週休2日制ですが診療所は365日体制なので、土日祝日が休みという訳ではありません。その分、平日に休みを取ったりします。それから緊急往診などもあるので、日直や夜間当番などの泊り込みの日もある仕事ですね。
——町での生活についてですが、祐子さんは道南などでも生活されていましたが、今の別海の暮らしはいかがですか?
祐子さん:大阪、道南、別海と、徐々に人口密度の低いところに移ってきましたが、自分は今の環境が合っていると思います。
実家が大阪なので年に一度は帰郷していますが、その度、看板や行き交う人など、普通に生活しているだけでも、目に入ってくる情報が多いなと感じます。それに比べると、この町は看板などからの情報量は少ないですが、自然の中から感じる情報が多いと思います。例えば「あの花が咲いた」とか、「あの鳥がいる」とか、「あのお家の花壇がきれいだ」などの気付きがあり、季節の移り変わりを瞬時に感じ取ることができるところがいいなと思います。
それから年間を通じて季節ごとの仕事があって、楽しくて忙しいところも気に入っています。例えば、春は山菜取りや畑の準備、ニワトリ用のミミズ掘りをしたり、夏は潮干狩りに登山、キャンプに釣り。秋はマラソンや落ち葉集め、冬はスキーにスケートと、その季節にしかできないことが沢山あります。これらのライフワークは自然の中での営みなので、コロナ禍であってもあまり変わりなくすることができました。
実は、これまでずっとフルタイムで働いてきましたが、獣医師の仕事を今は一旦退職しています。理由は、仕事のウエイトを下げて、子育てや昨年度水泳の指導員免許を取得して始めた子どもたちへの水泳指導、養鶏など本職以外のことをもっとバランスよくやりたいと思ったことと、「人生は一度きりだからやりたいことを思い切りやろう」と考えたからです。将来的にはまた獣医師の職に戻ることも考えているので、戻った際に活かせるような体験や勉強などをこれからしていきたいと思っています。
——ライフワークと子育てに重点を置いて生活されているんですね。水泳の指導は少年団の活動ですか?
祐子さん:そうです。別海町は習い事をするところは少ないですが、少年団の活動が活発だと思います。少年団の活動は、習い事と違ってコーチや監督が本業として教えているのではなく、昼間は教師などの本業を持っている方が、夜、子どもたちに教える形です。
親も連れて行って終わりということはなく、練習の手伝いやサポートをする必要があるので、普通の習い事より大変かもしれません。指導者や関係者は多い方が負担も分散されるので、私も中学生のころに水泳部に入っていたこともあって、指導資格を取得しました。
ちなみにうちの子どもたちはバスケットボールとスケート、水泳の少年団に入団しています。夏は水泳、冬はスケートとシーズンで活動が分かれているので、複数入っていてもなんとかなっています。
スケート少年団に入団したのは、偶然というか、気が付いたら入団していた感じなんですよ。獣医師の職を辞するまで、仕事の後にスケートリンクに通っていたのですが、ちょうど少年団の練習時刻と同じ時間帯で、監督が私たちのことをいつもいる親子だと覚えてくれていて声をかけてくださったんです。それから練習を手伝ったり、色々しているうちに、子どもが「やりたい!」と言いだして。他の団員の子どもたちとレベルがだいぶ違うので大丈夫かなと思いましたが、子どもの気持ちを尊重しようと入団させました。
輝さん:スケート少年団は自分が知らないうちに入っていて驚きました(笑)。別海町のスケートリンクは屋外にあるので管理が大変で、少年団に所属している子どもの親や関係者が練習後にリンク整備を夜中までやるのですが、あれは本当に大変ですね。もう少し団員が増えて負担が分散されることを願っています。
——日々お忙しく過ごされていますが、町の子育て環境はどうですか?
祐子さん:都会よりは子どもを3人育てることは容易かなと思います。例えば、子どもを自転車の前と後ろに乗せて、車の横すれすれの狭い道路を走ることも、子どもを同じ保育園に入れることができず、はしごして通わせることも、仕事に行くときに電車を何度も乗り継いで出勤することもありません。そういうところが理由なのだろうと思います。
広い町はデメリットもありますが、私たちは市街地で生活しているので、不便は感じません。公園や図書館、プール、スケートリンクなどの施設とか、ちょっとした外食のできるところがあれば十分満足です。それに色々あっても時間がないと行けないので、結局娯楽が沢山あっても仕方がないのかなと思いますね。でも子どもたちは色々なところに行きたいようなので、関西に帰省した際は、動物園や水族館、鉄道博物館などに出掛けたりしています。
——お庭で養鶏をされていますが、始めたきっかけは何ですか?
祐子さん:10年前に隣町のスーパーで売っていた有精卵を、温めてみたことがきっかけです。生まれたヒナがたまたまメスで、毎日卵を産んでくれるようになり、とてもいいなと思いました。
卵は加工食品を含めてとても身近でよく食卓に上るけど、ニワトリがどんな生き物かあまり知られていないですよね。ニワトリを飼うことで、生態や鶏肉、卵について考えるようになりました。ニワトリはとても人懐っこくて人のことをちゃんとわかっているんです。人がいると寄ってきて、エサを欲しがったりするので「えらいな」と感じていたら、やっぱりどこか抜けているのか、自分が弱い立場で狙われていることがわからず、飼い犬が掘った囲いの隙間から外にほいほい出て行っては、キツネに食べられたりしています。その姿を見ると「やっぱりバカだったのか」と思ったりして、見ていて飽きませんね。
ニワトリには採卵鶏と肉用鶏の2種類があり、うちにいるニワトリは採卵鶏です。採卵鶏は生後半年ほどすると卵を1日1個産むようになり、約1年産卵した後、「廃鶏」として処分されます。この「廃鶏」は、毎日卵を産まなくなったり、卵を産んだとしても、形が悪い物だったりして生産性が落ち、採算が取れないようになってしまったニワトリです。
しかし本来ニワトリの寿命は5年から10年なので、廃鶏になっても週に何個かは卵を産みます。うちは商売をしている訳ではないので、自分たちでふ化させたニワトリのほかに、廃鶏として処分される予定だったニワトリを引き取って飼っています。ニワトリのエサは野菜くずや牡蠣殻を粉砕したもの、米ぬかなど、エサ代はあまりかかっていません。
——廃鶏のことなど知らないことが多く、とても興味深い養鶏ですが「これは大変だ」と感じるところはありますか?
祐子さん:今はメスしかいないので楽ですが、オスがいたころは、大きな声で鳴くので大変でしたね。
輝さん:オスはびっくりするくらいの爆音で鳴くんです(笑)。
祐子さん:朝の3時から鳴いたりするので、迷惑にならない時間まで真っ暗にした小屋に入れておいて、いい時間になったら外に出していました。
それからオスは縄張り意識も強くて、子どもたちを追いかけまわすので、これまでに4羽ほど自分たちで捌いて食べました。生まれて間もないヒナは、素人目ではオスメスの判別がつきませんが、生後1か月ほどで頭にトサカになる大きな硬いものができ始めて、オスだと判別できるので、その頃から「朝鳴きだしたら食べよう」とシミュレーションしています。生後4か月経つと徐々に朝鳴きだすので、おいしく食べています。捌き方はYouTubeを見て勉強しました。養鶏に関しては基本的に私がしていることなのですが、夫にはこれ以上ニワトリを増やさないように言われていますね。
輝さん:卵が食べきれないんですよ。うちには今6羽ほどニワトリがいて、毎日1個卵ずつを産むんです。2、3羽であれば何とか消費できますが、6羽となると6個、2日で12個と家族5人では食べきれないほどの卵を産むので、冷蔵庫の中が卵だらけになるんですよ。それには参っています。
祐子さん:食べきれないものは、ご近所さんに配ったり、家の周りの草刈りをしてくれた業者のおじさんに差し上げたりしています。おじさんは去年「草をニワトリにあげたい」とお願いしたことを覚えてくれていて、今年、家にわざわざ草がいるか聞きに来てくれて、とてもうれしかったです。その草のお礼に卵を差し上げました。養鶏を始めてからいろいろな方と知り合えて楽しいです。
——生活のことや養鶏のことなど、これから先の展望などはありますか?
祐子さん:多分夫には「えぇー!!」と言われると思いますが、別海のいい離農跡地があったら、家族にも手伝ってもらいながら自分で面倒を見られる数の廃鶏を引き取って、がんばって働いたニワトリたちがのびのび余生を過ごすことができるような廃鶏王国をつくりたいなと考えています。養鶏で生計を立てようとは思わないので、あくまでも養鶏は趣味の一つとして、他の本職で収入を得ながら暮らせれば理想ですね。そして家族で食べきれない卵を地域の人たちに配ったり購入してもらって、廃鶏の問題などに興味を持ってもらえるようになると嬉しいです。
取材日:2021年6月11日インタビュー・文:原田佳美
写真:NAGI GRAPHICS