婿養子として別海町で漁師となり、地域を盛り上げるための活動を仲間とともにされている鈴木さん。漁師としての生活や、未来を見据えた活動についてお話を伺いました。
——自己紹介をお願いします。
鈴木翼です。旧姓は原田で、生まれは秋田県羽後(ウゴ)町です。
中学・高校生の頃に特技の柔道を子どもたちに教えたいと思うようになり、教師を目指して北海道教育大学の旭川校で勉強していました。
そこで実家が漁業を営んでいる妻と出会い、結婚することになって、もしよかったら婿養子となって後を継いでくれないかという話になって、教師ではなく漁師として、別海町で暮らすことになりました。
——教師とはまったく違う職種の漁師になることに抵抗はなかったですか?
そうですね、あまり抵抗はありませんでした。漁師はなろうと思ってなれる仕事ではないので、とても興味がありました。
漁師になるためには、「漁業権」が必要になるんですけど、その権利は誰にでも与えられるものではなくて、この辺だと世襲制がほとんど。その権利によって、漁のできる魚種が決まる。漁師だからなんでも捕っていいという訳ではないんですよね。
例えば、打瀬船で有名なシマエビ漁に関しては、わずか20軒くらいにしか漁をする権利が与えられていません。雇われで漁師になることもできますが、権利のある家と比べると収入が安定しない。
そうしたこともあって、この辺では全くの新規で漁師になった人はいないと思います。なので、自分のような何も知らない者が後を継げるなんてとてもありがたいことだと思いました。
大学卒業後、漁業研修所で基礎的な知識と技術を学んで、こちらにきて漁師の仕事に従事しています。道具の名前や使い方がわからないゼロからのスタートだったので、一通り覚えるまでがすごく大変でしたね。
漁師のイメージって、「見て覚えろ」みたいな職人気質な人が多いのかなって思っていましたが、自分の周りは丁寧に教えてくれる方が多く、すごく苦労したってことはなかったですね。
漁師に関わらず、何事もわからないからやらないのではなくて、わからないことは素直にどんどん聞いて、チャレンジしていくことが大事だと思います。漁師の仕事には終わりがなくて、未だに怒られることもあるし、仕事場や漁場によっても全然やり方が違うから、そういうところも漁師の面白い所だと思います。
少しずつではありますが、できることも増えて、だんだん面白みが出てきてやりがいも感じています。一生現役、やろうと思えば何歳でもできる。一緒に漁に出ている人の中には75歳の方もいますけど、誰よりもその人が一番動いてます(笑)。
——漁師さんのお仕事って、どういう感じなんですか?
個人で船を所有して、個人で漁をする人もいますが、僕は個人ではなく、例えばホタテ漁では5人の漁師で一隻の船を使って共同で作業していますし、秋鮭漁ではまた別の漁師と共同で作業しています。簡単に言うと、その人たちと共同経営をしているような形ですね。
漁師の朝はとても早いです。鮭定置網の時期は4時起きで5時に出港し、8時ぐらいに帰港します。もっと早い漁師ですと、夜中の12時くらいに出港していますね。基本的に船での仕事は特別なことがない限り、午前中で終わりなので、空いた時間を趣味やほかの仕事に費やす人もいます。
僕が所属する野付漁業協同組合では、魚のとれた人だけすごく儲かるけど、とれない人は全然儲からないということのないよう、なるべく平均的に収入があるようになっています。なので、大間のマグロ漁師みたいに一発当てた人がすごく儲かるみたいなことは、まぁないですよね。
——お休みの日はあるんですか?
特殊な漁の準備や片付けがあるときは休みがないこともありますが、市場の取引がない日曜日は基本的に休みです。あとは時化の日ですね。天気が悪くて船を出せない日は休みになります。最近は天気予報の精度が高く、前日から天気が悪いことがわかるので便利になりましたね。もちろん当日港に行ってみて、風があるからやっぱりやめておこうみたいな日もありますけど。
長期の休みは、GW、お盆、お正月などで、一般の会社とその辺は変わらないですね。ただその他に休みたいってなった時は、代わりに漁に出てくれる人にお願いすることになりますが、代わりの人も少ないので、よほどのことがない限り、休むことはないですね。
休みの日は、隣町に買い物に行ったり、料理が趣味なので、自分でとった魚を使って料理したりして過ごしています。最近では、子どもたちの部活の試合観戦に行くこともあります。
——お子さんは何人いますか?
4人です。女の子と男の子が2人ずつ。僕も子育てに関して、できることをやろうと思っていますが、仕事柄、朝が早くて寝る時間も早いし、日中は子どもたちが学校なので、子どもたちと顔を合わせる時間が少なく、なかなか難しいですね。たくさん面倒を見てくれている奥さんには、とても感謝しています。
また、漁師の家は二世帯や三世帯で住んでいる家庭が多く、両親にも子どもたちの面倒を見てもらえるので、そういう面では仕事に打ち込めるし、子育てにおける心配は少ないのかなと思います。
——秋田も雪国ですけど、別海町での暮らしとの違いはありますか?
気候環境が一番違いますね。同じ雪国なんですけど、とにかく秋田はすごく雪が多くて、特に僕の故郷が豪雪地帯で、二階まで雪が積もるようなところだったんです。別海町を含む道東は積雪量も少ないし、夏もとても涼しいので、年間を通して過ごしやすいですね。北海道らしい体験ができたり、おいしい食べ物もあるので、住みやすい町だと思ってます。車があればなんの不便もないですし。
野付漁協の青年部長をされていますが、青年部ではどのような活動をしているのですか?
毎年秋鮭の時期になると、町内の小学校に行って、雄雌の見分け方とか、漁で使う網について説明したり、実際に子どもたちと一緒に鮭をさばいたりする出前授業など様々な活動を行っています。今年はコロナで中止も検討しましたが、何でも中止にしちゃうのは子どもたちがかわいそうだってことで、魚を捌く実技なしの座学だけの授業を提案したところ、7校から依頼がありました。学校に出向く人数を減らして授業をしましたね。毎回、子どもたちの反応が良くて、みんなにおもしろいって言ってもらえてありがたいです。
——青年部以外での活動もされているのですか?
教師を目指すきっかけとなった柔道を少年団で教えています。
僕がこの尾岱沼地区にきた当時は、柔道少年団が活動していないときだったんですけど、当時の公民館の副館長に、昔使っていた畳もあるしやってみなかという話をもらって、「やってみよう」って僕含めて3人で少年団を新たに立ち上げました。
活動を初めて今年で8年目になりますが、団員数も増え、幼稚園児から中学校3年生まで13人の子どもたちと、指導者の大人6、7人で毎週火曜日と金曜日に活動しています。教師にはならなかったけど、子どもたちに柔道を教えることができていて、とてもやりがいを感じています。
それから、今年は「幼少の頃に見た花火を復活させたい」という仲間の想いから、「花火実行委員会」という団体を設立して、子どもたちに向けて手作りの花火大会を開催しましたね。
少子化や不漁などこの町にとっていいニュースがない中で、少しでも町を活気づけるために、とりあえずは、自分たちの住んでいる尾岱沼地域から何かを始めようと仲間たちと企画しました。小さな地域からの動きでも、それがもっと大きく影響して別海町全体、もしくは道東とか、もっともっと広がっていけばいいなと思っています。
そのためにも、まずは地元尾岱沼のまちづくり、魅力づくりのため、花火大会のほかに飲食のできるイベント等を企画して実行していきたいなと考えていて、少しずつ活動の幅を広げていきたいなと思っています。ただ、今の団体名だと「花火」のイメージが出ちゃうから、別な名前を考えて、ロゴマークの作成もプロに依頼しようと検討中です。
——いろいろ活動されていて、地域貢献がすばらしいですね。
好きでやってることなので、そういう意識はないんですけど、そういってもらえるとありがたいですね。
——今後の目標を教えてください。
そうですね、温暖化の影響なのか自然現象なのかよくわかってないですけど、近年、魚が全然捕れていないので、そういう所に影響されないように、値段を安定させるための養殖や、野付ブランドの高付加価値化に取り組むことよって、漁業全体が潤っていくように、少しでも町の力になりたいと思います。
また、将来自分の子どもや孫が、親が漁師だからではなく、自分が漁師になりたいから後を継ぐんだと思えるよう、漁師という職業を安心して継げる、やりがいのある仕事にしていきたいですね。そして、この尾岱沼地区にいたいって思う子どもをもっと増やしていきたい。
僕も含めて外から来ている人と、もともとずっとこの町で生活している人が協力して、観光にしても食材にしても、いい部分を掘り起こしてPRしていけたらと思います。有名なイベントだけじゃなくて、それ以外の時期でもみんなが集まってくるような町になってくれたら嬉しいし、そのためにもこれからもどんどん仲間と共に活動していきたいです。
2020年10月16日 収録インタビュー・テキスト・撮影:原田佳美