ほらり

加藤泰和:新しい要求にチャレンジする。

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約9分

加藤泰和、昭和41年生まれ、年齢は49歳です。『ビーバップハイスクルール』が流行っていた時代で、学ランが長いか短いかとかそういう年代です(笑)。生まれてから中学校まで別海で育ち、高校は釧路、大学は京都でした。そのあとは企業に勤めたり、留学したりとかいろいろやってました。知らない人が多いかもしれませんが、実は私、Uターンなんですよね。

別海には一度29歳の時に戻ってきたんですが、お寺の研修で一つやらなければならないものがあって、最終的には31歳のときに戻ってきました。別海に戻ってきて18年になります。

今は『本覚寺』の「副住職」をしていますが、来年父から引き継ぎ、「住職」になります。あとは、学校法人の『くるみ幼稚園』の園長、『学校法人宝誠学園』の理事長と色々なことをやらせてもらっています。

テレワークは俺たちの出番だ!

それらに加え、現在はテレワークを推進する『一般社団法人Be-W.A.C.』の事務長を兼任しています。事務長になるきっかけは、「テレワークの事業が別海ではじまります」という町民への説明会の場が設けられた時に、「別海町は土地も広く、子供達が自由にのびのびと過ごせる環境なので、都会の方に短期でもいいので来てほしい!」という思いをお話ししたことです。

説明会のあとの懇親会で、「できれば住民自ら動きを起こしてもらえるといいですよ」という話がありました。それが『Be-W.A.C.』設立のきっかけです。言い出しっぺの一人である私が事務局長を務めることになりました。

山本瑞穂さんを『Be-W.A.C.』の代表に推奨したのは、その町民説明会の時、積極的に意見を出していたのもあるのですが、やっぱり常日頃から、町民主体の活動—例えば子育てだったり、まちづくりだったりに、意欲的に活動していたからだと思います。「行政とはまた違った視点で活動する市民団体のような存在が必要だよね!」という話をしていたこともありました。今回のテレワーク事業には地方創生の観点で「子どものびのびと育てるための移住」という視点があってもいいのではないかと思い、これは「俺たちの出番じゃない??」って(笑)。

テレワークで「不便さ」を乗り越える。

別海って、今に始まった話ではないですけど、東京からも遠い、札幌からも遠い。ということで象徴的に不便なんです。だから、都会で起きていることは自分たちには関係ないみたいな、物事を遠目で見るような感覚ってあると思うんです。

今回のテレワークはまさに、”情報の遅延や関心のなさを解消するための取り組み”だと思う。テレワークで移住してきた人たちとのお付き合いの中で、都会をより身近に感じることができ、心理的なハードルも下がると思います。仕事の面でも、テレワークは時間と場所の壁がないというメリットがあるので、「これはもう!別海こそテレワークを積極的に取り入れるべきじゃないか!」と強く感じました。

このお話がある前は、そんなこと考えもしませんでしたが、実際に別海でテレワークの実証事業が始まるのであれば、住んでいる人の視野を広げる、参加意識を高める、という意味でもやる価値は大いにあると思いました。

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別海を離れて「箱の外」に。

高校は町内の高校という選択肢もあったのですが、あえて釧路の高校(注1)に進学しました。お寺は年配の方が良く集まる場所なので、小さな頃から人間関係が濃厚だったんです。「箱の中で育ってきた」ような感覚と言いますか、周りの大人もみんな自分のことを知っていて、守ってくれる。でもそれに思春期特有の息苦しさを感じることもありました。勉強がどうこうではなく、その息苦しさを理由に、別海を出ました。下宿で生活し、サッカー部に入部したので、週末は別海に帰ることなくサッカーに没頭していました。
(※注1 釧路の高校:別海から釧路までは約90kmの距離)

ちなみサッカー部の冬の練習は、当たり前ですが、雪の上でのサッカーなんですよ。ボールを蹴ると熱を持ってくるんですが、その熱でだんだんまわりの雪が溶けてボールに染み込んでくるんです。そのうち夕方寒くなってくると水分を含んだボールが凍ってきて、それを忘れてついヘディングなんかすると「ガチーーーンッ」ってなって(笑)。でもオーバーヘッドはうまくなりました。転んでも雪があるので痛くないし(笑)。

高校卒業後は、京都の大学に進学しました。自由な大学生活を送る中で、ようやく「箱の外」に出たような感じがしました。しがらみがなくなり、外の世界を体感できたんでしょうね。街中で酔っ払ってダウンしていても、誰も自分のことを知らないし、助けてくれないでしょう?(笑)。「お寺の息子」という枠が外れて、「俺ってなんだろう?」ってよく考えてましたね。本当はそういうつもりで釧路の高校に進学したんですが、部活なども忙しかったので、そういう感覚にはなれなかったんでしょうね。

余談ですが、高校大学時代は別海に帰ってきて牛乳を飲むとやっぱり美味しくって、「ようやく牛乳らしい牛乳を飲めた!」って思ってましたね(笑)。

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©DUNKSOFT / photo by Yojiro Kuroyanagi

昔から守ってくれていた人は、今も変わらず守ってくれる。

別海に戻ってきたきっかけは、お寺の研修が概ね終了し、取るべき資格も取って京都にいる理由もなくなったからです。別海に来る前に帯広のお寺でお勤めしていたのですが、その時母の体調が良くないということで、いよいよ別海に戻り後を継ぐ決心をしました。

外でいろんな経験を経て成長して、いざ別海に帰ってきてみると、みんなが私を見る目が小さな頃と変わっていなくて、「お寺の後継息子」である私のままだったんです。そこの人間関係の濃さ、息苦しさは変わらないんです。でもその反面、気づいたことがあって。もし私が都会生活ですっかり変わって帰ってきたとしても「あんた大分変わって帰ってきたね〜。もう私あんたのことかまえないわ〜」ってならないのが田舎のいいところなんですよね。昔から守ってくれていた人は、今も変わらずずっと守ってくれる。今後どんどん歳を取っていくにつれて、それが心地よくなってくるかもしれませんね。

新しい要求にチャレンジする。

別海にいたころは箱の中で誰かに守られて過ごしてきたんですが、外に出てしまったら誰も自分のことを知らない、守ってくれない環境で心細くなることもありました。でも面白いのが、周囲の人たちが自分が今まで要求されたことのないような役割を要求してくることがあったんです。それは今までの加藤泰和を知らないから。「君、これできる?」って。そういった要求にチャレンジしていくと、今までの自分にはなかったことが発見できたんです。

でも別海にいると、昔の私に要求していたことと、変わらない要求しかこないんです。私が感じているのは二つあって、一つは新しいことをやってみせても、的から外れてるからあまり別海の人たちには響きにくいというか、視野に入らないということ。もう一つは、田舎にいると周りの要求が変わらないゆえ、チャレンジのチャンスが少ないかもしれないということ。

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私自身が体験していることですが、新しいことに挑戦し、視野は広がっても、ベースとなる部分は変わらないから、怖がらず、自信を持ってチャレンジしてほしいと思う。チャレンジしてほしいっていうのはおこがましいかもしれないけど、新しいことにチャレンジする環境をみなさんと一緒に作っていきたいなって思います。

人が可能性を広げるために、今まで要求していたこととは違うことをたまに要求してみるのいいですよ。たとえば東京から別海に移住してきた人がいるとします。東京の人は東京の感覚でものを言うので、別海の人は「こんなこと要求されたことないのにな〜……」って思うかもしれません。できるできないは別にして、それに乗ってみる価値はあると思います。逆に別海の人たちは物怖じせず「田舎来たんだからコレやってみれ〜」っていう要求をしてみたら、東京の人は「やったことないことやれって言われた!」という新鮮な経験ができるはず。それも田舎に来る価値の一つじゃないかと思います。

なので、「対等」っていうのもおかしいかもしれませんけど、来る側も受け入れる側も役割の差はないかなって。「東京からお客様がきた〜」っていうだけでなく、普通にお付き合いする中で親しくなっていくんじゃないかなと。

「人の話を聞くのが大好きな人」が別海には向いてます。

別海に移住してくるのであれば、「人の話を聞くのが大好き」っていうスキルは重宝されるかな?別海の人はシャイだから、壁が取り払われるまではある程度コミュニケーションをとる必要があるなと思います。最初のうちは恥ずかしがってるかもしれないけど、「人の話を聞くのが大好き」な人とある程度の時間を過ごすと、多分話したい、聞きたいことがとめどなくあふれてくると思う(笑)。一回友達になってしまえば、人間関係が濃いので困った時は必ず助けてくれます。

最初から「永住」を決断しなくてもいい。

あとは、「多拠点」でもいいと思う。最初からいきなり「全てを捨てて別海に永住します!」「この地に骨を埋める覚悟で来ました!」となると正直ハードル高いですよね?別海の人たちの暖かい人柄に触れつつも、やっぱり「都会の空気吸いたいな〜」って思ったら一旦戻ってもいいと思うし。もっとライトな感覚で来てもらってもいいと思います。例えばはじめは趣味の釣り目的で別海に遊びに来てたんだけど、そのうち釣り仲間が増えて、自ずと別海にいる期間も長くなって「どうせなら住んじゃおうか〜」みたいなきっかけでもいい。寒い冬が苦手なら夏の間だけでもいいんです。

「車に乗るときは、コートとスコップを積んでおけ!」

別海に移住しようと考えている人たちに向けての「これだけは!」ということはいくつかあります。「冬に車に乗るときは、コートとスコップを積んでおけ!」かな?それは事故に備えてってことなんだけど、北海道は家の中が暖かいので、わりとそのままの軽装で車に乗っちゃうことがあるんですよ。すると、事故を起こしたり、エンストしたり、それ自体が命に関わる程度でなくても、車にコートとスコップを積んでおかなかったがために……という危険性があります。

あとは家庭用の冷蔵庫とは別に、冷凍庫を買っておいたほうがいい!田舎では食べ物のおすそ分けを頂く機会が多いんですよね。「別海に移住してきたんだって?じゃあ鹿肉持ってけ〜!鮭持ってけ〜!」みたいな(笑)。しかも量が半端じゃないのでその日のうちに処理しきれなくて、冷凍せざるをえない。それが家庭用の冷蔵庫だけだとすぐ冷凍スペースがいっぱいになってしまいます。もちろん、吹雪などで外に出られなくなることがあるので、そのための備蓄という意味もありますね。

「元気になる寺」。

「10年後に自分は何をしているか」ですか?まだ具体的ではありませんが、この寺のキャッチフレーズとして「元気になる寺」というのを考えています。元気というのは身体的な面はもちろん、心の面においてもです。幅が広すぎてなかなか具体的なところまではいかないんだけれど、「元気になる寺」でありたいです。10年後というと色んなことが変わると思いますが、途中で「疲れたからやめました」ということにはなりたくない。お寺だけではなく、幼稚園、周りの人たちを「元気」にできれば嬉しいです。

2016年2月1日収録
インタビュー:廣田洋一
テキスト・撮影(クレジット表記のないもの):NAGI GRAPHICS
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