ほらり

吉岡昌樹:祖父から始まった家業の「伝統」と「別海」にこだわって生きていく

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約10分

——自己紹介をお願いします。

吉岡昌樹と言います。1994年生まれです。僕は別海で生まれ、小学5年生まで町で過ごした後、6年生から親元を離れ、小中高と札幌で過ごしました。

小学生で町を出ることは、自分で決めました。小さい頃、僕はおばあちゃん子だったんです。うちは両親が自営業をしているので、両親不在時は祖母がいつも側にいてくれました。うちの父親は6人兄弟の末っ子で、祖母が当時80才くらいかな? 結構な高齢で、それで自分は幼いながらに生意気なんですけど、「祖母を守らないと」と思っていて、独りにしないよういつも一緒に居たら、気が付いときにはおばあちゃん子になってましたね。

でも小学校5年生の頃、祖母が他界して、色々吹っ切れて、最初は嫌だった札幌行きを決断しました。その後大学進学のため東京に行き、卒業後は再び札幌に戻り働いていましたが、25歳の頃、父親が還暦を迎えたことをきっかけに町に戻ってきました。

——小学生の頃から親元を離れ、札幌に行くことは寂しくなかったですか?

最初は寂しかったです。恥ずかしい話、家を出るまで母親がいないと眠れないような感じだったので(笑)。札幌では6つ上の兄も同じ学校に通っていたので色々面倒を見てくれたし、新しくできた友達、寮や学校で面倒を見てくださった先生もいい方ばかりで、そのおかげで寮生活も学校生活も楽しく過ごせました。でも電話で母親の声を聴くと、泣くような話なんて一つもしてないのに、いつも泣きそうになってましたね(笑)。

小学生の頃に親元を離れたことによって、親のありがたみを人より早く知れたと思います。それもあって実家の家業を自分がやっていこうっていう気持ちに繋がったのかなと思いますね。

——戻ってくるきっかけはお父様の還暦とのことですが、どのような理由があったのでしょうか?

うちは祖父の代から飲食業を営んでいて、帰省の折など店の手伝いをする中で、両親の苦労する姿や体力を必要とする仕込み作業を見ていて、何か自分に手伝えることはないかと感じていました。自分は次男なんですが、なぜか物心ついた頃から自分の中で、「家業を継ぐ」と言う思いがあったんです。

当時就いていた仕事は、可能であればずっと続けたい仕事だったので、町に戻ることを決意するまでに葛藤はありましたが、父親が60歳になるこのタイミングが町に戻る頃合いだと思い、兄に「俺、家業継ぐわ」と宣言して、戻ってきましたね。ありがたいことに仕事を辞めた今でも前職の方々との交流は続いていて、札幌に行った時は一緒に遊んでいます。

——体力を必要とする仕込みのお仕事とはどのようなものなのでしょうか?

例えば、うちのキムチはすべて手作業で作っていますが、美味しいキムチを作るには、しっかり時間をかけて作る必要があるんです。でも現実問題、ゆっくり時間をかけることができない。そのため、短時間でもしっかり漬かるようにと、本来なら干すことで水気を切る塩漬けした白菜も、うちは手作業で水気を搾るんですね。その工程が本当に大変なんです。一度の仕込みで白菜を6玉ほど使って作るのですが、1玉ずつしっかり絞る必要があるので、終わる頃には腕がパンパンになってしまいます。

肉の仕込みに関しても、連休中は業者も休みに入るので、前もって多く入荷しなければならず、店から少し離れた倉庫まで何往復も肉の塊を運ぶ必要があり、かなり体力を使います。肉を包丁で仕上げる普段の工程も、毎日包丁を握っていたら腱鞘炎になるくらい大変で。

そういう姿を見て、もう楽をさせてあげたいなと思いました。キムチや肉の付けダレなど、すでに出来上がっているものを購入して、少しアレンジを加えてお客様に提供する方が簡単だし、コストもかからないので、そうしている店もあります。でも、うちの店のウリの一つが「手作り」なので、こだわって手作りを続けていきたいですし、祖父の代からの伝統を守っていきたいと思います。

——当時(小学校5年生の頃)の別海町の暮らしと言うのは、どのような感じでしたか?

スーパーは店の横に農協のスーパーが1軒だけでした。今は大型店舗も増えて便利になりましたよね。それから当時はポケモンなどの夕方のアニメがこの辺りでは放送されていなくて、休日に、隣町の中標津のレンタルショップにDVDを借りに行って、いつも見ていましたね。中標津は車で30分なので、休日も働いていた親にも連れて行ってもらえました。「お前はDVDを見せておけば、それで済む子だったから本当に助かる」と言われていましたね(笑)。隣町に行かないと色々できないことも多かったけど、今はテレビで普通にアニメも見られるようになったし、町内でDVDも借りられるし、昔と比べると本当に便利になりましたね。

でも、14年ぶりに戻った別海は、生活は便利になったけど、時間がゆっくり流れているところや、空気がきれいなところ、人混みがないところなど、昔と変わらない雰囲気でうれしかったです。札幌や東京での暮らしも色々面白かったですけど、自分は都会の暮らしより、別海の暮らしが好きですね。

——お兄さんは今も札幌で生活されているんですか?

いえ、兄は今、斜里町で元々親戚が経営していた店を継いで焼肉屋をしています。兄は札幌で食品関係の仕事をしていたんですが、親戚が体力的にも大変だということで店を売りに出していたんです。それならうちが買い取るよということで、その話を機に斜里に移って色々親戚から教わった後、店を継ぎました。

この話は僕が帰ってきて1年目の事なので、その店を僕がやる事も選択肢の一つでしたが、ちょうどこっちで色々な方と関わりだして、友達や知り合いも別海町商工会の青年部(以後「青年部」という)絡みででき始めたタイミングだったこともあり、自分は斜里に行かずにここでやると決めました。やっぱり地元っていうのもあるし、祖父から始まったこの「焼肉食道園」、「別海」にこだわってやっていきたいと思いました。

——青年部に入会するという事は、知り合いを作るきっかけとして、とてもいいことですか?

そう思います。自分のように進学を機に町を出てUターンした方や、Iターンで移住されて開業された方など、こちらに知り合いが一人もいない方にとっては、知り合いを作るきっかけになりますよね。商工会への加入は、商売をやるなら絶対に入れという訳ではありませんが、僕は入った方が得だなと思います。知り合いができることはもちろんですが、町のことや、商売のノウハウなど、色々なことを知ることができますから。

でも、最初の集まりに行った時に、おじさんばかりだったので驚きました(笑)。ちょうど僕が入った年から青年部の年齢制限が40才から45才になったので、本当におっさんばっかりだったんですよ(笑)。

——46才になった後は、OB会などがあるんですか?

各業種の会がありますね。ただ青年部は業種関係なく、「次世代の事業者の人たちが集まる会」なので、業種を超えた方と知り合うことができるんです。会員は自分のような飲食業者や、建築業者さん、整備工場をされている方などが在籍しています。会員数は30人ほどです。

——青年部は普段、どのような活動をされているのですか?

最近は新型コロナウイルスの流行で開催できていませんが、基本的には町や地域のために夏祭りなどの季節のイベントを行っています。ただ冬季のイベントとして開催していた「ふゆとぴあ」は、残念ながら実行委員会が前年度に解散してしまいました。青年部のメンバーが多ければもう少し何とかなったかもしれませんが、年齢制限が延びても人員がおらず、やりくりすることが厳しくなってしまったことや、年々積雪量が少なくなっていて恒例の雪像が作れなくなったことなどが主な要因です。

でも、ふゆとぴあのクライマックスに行っていた花火は今年打上げることができました。花火を毎年楽しみにされている方が大勢いらっしゃったので、何とか花火だけは開催しようと。コロナ禍なので、1か所に人が集まることを避けるため、打ち上げ場所は秘密にしてゲリラ的に開催し、評判もよかったですね。

青年部としても人を集めるイベントはこれからも何かやっていきたいなと考えていて、今回の花火の他にも、今年、気球を上げるイベントを開催された青年部の先輩がいて、それを聞いた時にすごくいいなぁと思いましたね。当日見に行ったり手伝ったりして、どんどんそういう楽しいイベントができればと思います。

——自営業をされていて、休日はしっかりとられているんですか?

店の定休日が毎週水曜日なので、週1回は休ませてもらっています。今はスタッフが5人いるので、シフトを組んでやりくりしたり、両親も忙しい時は手伝ってくれたりしているので、ありがたいですね。水曜日が祝日の場合は、休まず営業しています。休日は稼ぎ時ですからね(笑)。休みの日は、僕はずっとゴルフをしています。2年程前からゴルフにはまっていて、基本90台でラウンドするんですが、一昨日始めて90を切りしましたね。

——おぉ、すごい上手いじゃないですか!2年で90切るとはかなりの腕前ですよ。

いやいや、まだまだですよ。うちの親族はみんなゴルフ好きで、親族コンペを年に1回開催するほどですが、こっちに戻ってくるまでは、僕は面白さがわからなくて興味がなかったんです。こっちに戻ってから、「家族4人でラウンドしたら両親が喜ぶぞ」と兄に言われて始めましたが、うちの家族もみんな年季が違うので、一緒にラウンドしても自分がへたくそだから楽しくなかったんですよね(笑)。でも青年部に入ってから、家族以外の方とラウンドする機会ができて、自分と同レベルくらいの人とラウンドすることがとても面白かったし、その人たちに負けたくないなと思って、本格的にゴルフに打ち込むようになりました。

——お忙しい中でも、充実した日々を過ごされていますね。今年の1月からお店の代表になられたとのことですが、将来的なお店の構想はありますか?

自分はあまり稼ぐことに興味は無いのですが、やはり商売をしているからには、「稼いでなんぼ」ということもありますし、商工会の先輩方のようにビジネスで成功するのもかっこいいなと思うようになってきたので、ビジネスもちょっとずつ拡大していけたらと思っています。お店を増やしたり、自分達で一から作っている他の誰にも作ることのできない「食道園のキムチ」や「食道園のタレ」などの店の味を商品化して、名前を広げていけたらなと思います。

——では、最後に移住を考えている方へのアドバイスをお願いします。

現代のストレス社会の中で、人付き合いに疲れている方や、時間に追われている方に別海町に来て欲しいですね。ゆっくり流れる時間や環境の中で一度暮らしてみてはどうかなと。自分は悩むこともあまり好きではなくて、この別海で育ったからかなと思います。のどかな町の生活で、悩み事もなくなるんじゃないかな。
 
それから、移住して知り合いがいないという方は、商工会などの何かしらのコミュニティに入ることをおススメします。そうすれば無理に友達を作ろうと思わなくても、1人仲の良い人ができれば、みんな知り合いなので繋がっていくと思います。僕も元々結構な人見知りでしたが、別海の人たちは「誰でもウェルカム!」みたいな方達が多いので、すぐ馴染むことができました。そんな別海町民の皆さんのおかげで人見知りも克服でき、自ら行動し人の懐に入っていけるようになりました。移住した際は、是非色んな人と交流してみてください! 皆さん優しいので、多少無礼があっても許してくださいますよ(笑)。

取材日:2021年5月12日
取材場所焼肉食道園
インタビュー・文:原田佳美
写真:NAGI GRAPHICS
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