両親の影響から、手に職を職持ちたかった。
生まれも育ちも別海町の西春別です。親は二人とも技術職に就いていて、父は大工、母は理容師。生活にとても近い仕事ですし、子供の頃から親が働く姿を見て育ったので、僕にとって仕事というのは「大工」か「理容師」でした。
高校で進路を決める時も、最初からその二択でした。世の中にどんな仕事があるのかわかっていなかったのもありますが、今考えるとかなり視野が狭かったですね(笑)。でも、手に職をもって自分の技術を使う仕事にかっこよさなどの魅力はずっと感じていて。最終的に理容師を選んだのは、大工をやってた父が体を壊したりするのを見ていたので、「こっちの方が長く働けるだろうな」って理由だったと思います。
理美容の業界を目指す人は「有名なサロンで働きたい」などの、華やかな世界に対する憧れを持っている人が多いんですよね。それに対して僕の場合は「技術を持ったかっこいい仕事」という目線からこの仕事を選んだので、この業界を志望する理由としては少し堅いというか珍しいパターンかもしれません。
理容師として釧路へ。
高校卒業後は釧路に移って理容室のアシスタントとして働きながら、道東ヘアメイク専門学校(現・釧路理容美容専門学校)の通信課程に通いました。学校が休みの間に単位を取るため通学し、座学、国家試験の実技、あとはテスト問題を提出といった形で三年間学び国家試験を受け合格しました。最初の理美容室では1年間、その後はオープニングから入った理容室で5年間と、6年間釧路で働きました。
そんなある日、当時別海町の自衛隊駐屯地で働いていた母から「戻ってこない?」と連絡があったんです。自衛隊駐屯地には基本的に独身の隊員が生活をしていて、敷地内には様々な福利厚生施設が用意されているんです。売店やクリーニング店をはじめ食堂もあり、夜になればお酒も飲めます。“自衛隊が住んでいる町“って感じですね。
その一つに理容室があって、母はそこで理容師として働いていたんです。ただ、敷地は外にオープンにしていないので基本的には隊員しか出入りがなく、お客さんは隊員だけ。
そういう意味で、当時すでに結婚して子供もいた自分には収入面に少し不安がありました。でも、いつか自分の店を持ちたいと考えていた僕にとってはメリットのある話でもあったんです。
施設・設備は既にあるから開業資金は必要ないですし、運営も自分でやれるので独立するにあたっての訓練にもなる。それに独立するときは地元でと考えていたので良いきっかけに思えて。最初は迷いましたが、「次またいつタイミングやチャンスが巡ってくるかもわからないな」と考えて、母の話を受けることにしました。
与えられた環境でいかに充実できるか。
駐屯地での仕事は想像していたよりも充実したものでした。若くてまだ年頃の隊員が多いので、オシャレにかっこよくしてほしいって要望がやっぱりあるんですよ。
ただ、相手が自衛官という職業である以上、ヘアカラーやパーマなどは控えたほうがいい。なのでカットだけで作っていくことがほとんどだったんですが、これがとても有意義だったんですよね。ようは飛び道具を使わずに自分の技術だけでやっていくわけで。もともとカットが好きだった僕には“どんと来い!”って感じです(笑)。それにお客さんの仕事や生活環境に即した髪型を制約がある中でカットのみで作っていくというのは、まさに“技術職“な感じでとても楽しかったですし勉強になりました、でもパーマくらいはかけたかったですね(笑)。
もちろん、理容師としてできる範囲も限られてくるので葛藤が無かったわけではありません。でも友人の髪を切ったり染めたり、専門誌を読んで新しい知識を入れておくことで少しはカバー出来たと思います。与えられた環境の中で楽しく、充実した時間を過ごせるかは考え方次第ですね。
新たな出発。
駐屯地での仕事はやりがいも感じていました。しかし、働き始めて6年目に次の分岐点が来たんです。理容室運営の契約は入札によって決まるのですが次年度からいくつか内容が変わるということやこれから先の事を考えると難しいかなと、正直悩みました…。考える時間もあまり無いお金もない、融資を受けれるのかと(笑)。
でも自分の店を持つことを決めました。開店は決意してから半年くらいでバタバタと進みました。融資の申請をしたり、理容室として活用できる空き家・空き店舗を探したりと初めてのことだらけで大変でしたが不思議と不安は無かったんですよね、ひとえに駐屯地での5年が大きな支えになっていたと思います。
『理容室YOSHIDA』開業。
別海町には理容室がたくさんあるんです。だから普通に考えたら、競合が「たくさんいるし、やっていけるのかな」って不安が生まれるんですが、僕の場合そういうのは全くなかった。
「この人はこの店に行く、あの人はあの店に行く」という棲み分けが各理容室で出来ていたから客層が被ることもないし、新しいお客さんを取り込もうってお店がなかったんですよ。むしろ「新しいお客さんは入りにくい」という声すら聞こえてくるほどでした。だから若くておしゃれをしたい人は釧路や中標津に行ってしまう。ということは、若い人や新しいお客さんも入りやすいような営業スタイルでやっていけば、なんとか形になるんじゃないかなって漠然と思っていたんです。
でもいざ開業すると…狙っていた若い年齢層はあまり来なかったんです(笑)。既に美容室に行き慣れている若者は“理容室”には来なかったんですよ。“美容室はおしゃれ、理容室は不安”ってイメージが付いてしまっているので…。このときばかりは業界の諸先輩方を恨みました(笑)。
かといって誰も来なかったわけではなくって、意外にも30代以上のお客さんや子供さんがたくさん来てくれたんです。遠くに行くのは大変だったらしく新しく出来たうちの店に来てみたということでした。希望を叶えてくれるお店が近くに出来て良かったと言ってもらえた時はとても嬉しかったです。
男性も女性も出来るようにとバックシャンプー台を置いたりと、それも道東には数台しか導入店舗のないリラクゼーション特化のシャンプー台を入れたんです。バックシャンプーが初めての方に受け入れてもらえるか心配でしたが「気持ちいい」、「これいいね」の一言で安堵したのを覚えています。特にうちでシャンプーを大好きになってくれた子供さんが沢山いることも嬉しいですね。
狙っていた年齢層ではなかったけれど、結果的に嬉しい誤算でした。そういった反応を頂けたことで、一年一年やっていくうちに「この地域でこのスタイルでやっていくことは間違っていなかったんだな」と自信を持てるようにもなりました。
別海町への移住者の理解者でありたい。
地元だからそう感じているだけなのかもしれませんが、別海町の人たちは一度仲良くなってしまえばとても温かく接してくれる人が多いと思います。仕事を通してもお客さんとの距離が近い、良くも悪くもそれはこの地域の特徴だと思っています。
大人になり色々な地域の話、考えを聞き改めて町を俯瞰して見ると、この町はなんにせよみんなと同じ方向を向いていないといけない空気があるというか。これは田舎特有の性質だと思うんですけど…どこか全体主義的なところがあるんですよね。あとは新しい人が入ってくると警戒して距離をとってしまう傾向も強いように思います。特に移住者に対しては、他所者という色眼鏡で見ている様に感じます。
本音では「どんな人なんだろう」って興味があると思うんですけどね。そういう空気や考え方がなくなっていけば今より視野が広くなって楽しくなると思うんですよ、
「別海に興味を持つ人が町に気軽に入ってこられるような環境があるといいなぁ」って、地元民ながら感じていますし、僕はヘアサロンの仕事を通じて微力ながら移住して来た人達の理解者でありたいと思っています。
僕自身は転勤や移住で新しく町に来た人と話すのがとても好きなんですよね。例えば僕は内地(本州)の風景ってすごく「日本っぽい!」と感じるんです。北海道は内地に比べると歴史的な建物とか、古くからの街並みがあまり無いので。でも逆に内地の人からすると北海道の牧場やだだっ広い草原を見ると「外国っぽい!」と感じるみたいなんです。
そういう、人によって見え方が違うってことを知るのはすごく楽しいし、自分たちが普段見慣れているなんでもない風景をそう言ってもらえることも嬉しい。自分達では考えない多様な考えを知る事はとても大切だと思うので、どんどんそういう人は増えてほしいです。そしてそれが町全体の視野を広げる良いきっかけになったらな、とも思います。
この町の子供たちが次世代を担っていく。
別海町を維持していくには、これから町の次世代を担う子供たちが地元に残ってもらえるような仕組みを作っていく必要があるんじゃないかなって。というのも他の多くの農村漁村と同じように、別海町も若い世代がよその町に移ったり、少子化で子供がどんどん減ってしまっているんですよね。そうなると町の産業を支える生産人口が結果的に減少して、衰退してしまう。そしてそれを食い止めるのは、やっぱり子供たちにかかっているという思いがあるんです。
移住者を増やすこともそうですが、同時にいま住んでいる人が当事者意識を持つこともやっぱり大事だと思っています。
たとえばいまだと事業計画や町づくりの集会など、たくさんの施策が提案・実施はされているけど、それってあくまで大人が考えた案じゃないですか。そこに子供たちは直接関わっていない。となると本人たちが当事者意識を持つことは難しいし、地元への愛着心もなかなか育たない。だからこそ、町づくり・地域活性の取り組みには子供たち自らが意見やアイディアを出し、それを実際に実行するプロセスを組むのが良いと思うんです。
例えば、まさにいま別海町の各地区でコミュニティ・スクールという、「地域で子供を育てる」という取り組みが行われているんですが、その取り組みを通して「子供達自身が考え、発案し、実行する」。そんなプロセスが地元に興味を持つキッカケになるんじゃないかと。町に住む自分たちのアイディア・企画がひとつの形となる達成感が、今後の町に必ずなにか良い影響を及ぼすと思いますし。そしてそういった取り組みが、町を出ていった人たちが地元に戻ってくるきっかけや理由になればもっと良いですよね。
2019年1月16日収録インタビュー、撮影、テキスト:倉持龍太郎