——自己紹介をお願いします。
三原萌佳です。1995年生まれです。出身は大阪府寝屋川市で、別海町の友好都市である枚方市の隣の市です。地元の寝屋川は田舎というか、住宅街で、これといって不便はないけど大きな商業施設も近くにない、河川敷や公園などのどかな場所が多いところです。
前職は、電車で30分程の大阪市内にある税理士事務所で働いていました。この事務所に勤めたきっかけは、学生時代に始めたカフェのアルバイトです。全国展開しているコーヒーショップで働いていたんですが、働いているうちに勉学に励むことより、アルバイトの方が楽しくなってしまい、大学は早い段階でドロップアウトして、お店で働くことに力をいれました。その後少しずつ昇進していって、バイトの子たちのシフトを組んだりフードの仕入れなども任されるようになりました。その中で雨の日はゆっくりお店でくつろぐ方が多いから、フードの仕入れを多めにしたり工夫したことがダイレクトに数字(売上げ)になって出てくることが楽しくて、もっと詳しくお金の管理や経営のことを知りたいと、自己流で勉強しながら資格を取って、税理士事務所で働くことにしました。
——興味を持ったことにはとりあえずチャレンジしてみるタイプですか?
そうですね。自分のやりたいことに向かっていくタイプなんだと思います。やりたいことはとりあえずやってみる。仕事も趣味もですけど、やらない後悔よりも、やった後悔みたいな感じです(笑)。
——協力隊になったきっかけは何ですか?
元々興味のあることや好きなことを仕事にしてきているってこともありますが、コロナ禍になって、好きなキャンプや旅行ができなくなったことが関係しています。前職の税理士事務所は、確定申告の時期などは⻤のように忙しくて、その忙しさから解放されるキャンプや旅行は、私にとって大事なストレス解消法だったんです。でもそれが全くできなくなって、毎朝満員電車に揺られて出社して、コロナ禍の自粛生活でストレスを発散するものも限られる日々。好きな自然に触れ合うこともできなくて、「何かもっと自然の中で体を動かすような仕事に就きたい」、「30 歳になる前に、もっと『今』しかできないことをしたい」そう思って転職先を探しました。働き方というよりは、生活スタイルを変えたくなったんです。
——別海町の協力隊になると話した時のご家族の反応はどうでしたか?
家族には、採用が決まってから報告しました。「北海道の東側にある別海町に行ってくるわ」って。急な話だったので、家族は旅行に行くのかと思ったみたいですね(笑)。協力隊で移住するんだよって伝えたら「えぇっ!?住む!?いつから?」と、驚いてはいましたが、すぐに応援してくれました。北海道の自然豊かな町に立ち寄れるところができた感じで、「遊びに行くねー」って言ってくれて。でもやっぱりさみしいのか心配なのか、緊急事態宣言で夏休みは帰れないって伝えたら、父が泣いちゃって(笑)。離れてまだ3か月しか経ってなくて、まさか泣くとは思ってなかったので驚きました。ずっと実家暮らしで、初めての一人暮らしが北海道なので心配しているんだと思います。
——初めての一人暮らしが別海町とは、なかなか思い切ってますね。別海町の第一印象や、これまでの暮らしと変わったことはありますか?
3月末に釧路空港から町に向かう車中からの景色を見て、本当に何もない田舎に来たと思いました。ネットで調べた限りの情報しか持っていなくて、めちゃくちゃ寒いだろうと、キャンプ用の登山シューズとモコモコ姿で来ましたが、雪も積もっていなくて安心しました。でも4月になっても、GWになっても寒くて、いつまで寒さが続くのかと半泣きにはなりましたね。
町に来て一番変わったことは、先ほどもお話したように一人暮らしを始めたことですね。26年間ずっと実家暮らしだったので、家を出たのは今回が初めてなので、生活が大きく変わりました。それからどこに行くにも車移動になりましたね。地元にいた頃は、どこに行くにも電車を使っていたので、高校卒業時に免許を取って以来、旅行やキャンプに行く時にしか運転しなかったので、少し不安でした。でもこの半年は雪道もなかったし道路も広いので、快適に運転できました。先日冬タイヤに履き替えて、冬道運転の覚悟はできています。ちなみに車は、役場の方から格安で譲っていただきました。
——町の暮らしで不便なところ、困ったところはありますか?
車があればそこまで不便だとは感じないですけど、車移動が必要なこと自体が少し不便なんですよね(笑)。でも日々の生活に関しては、スーパーもあるので、不便はないです。ただ遊ぶ所やみんなで集まれる場所がもっとあればなと思います。例えば、私は映画を見ることも好きなのですが、映画館は釧路市まで行かないとないことや、上映されている映画が少ないことは少々不満だったりしますね。それから若い人が集まれるようなフードコートも隣町にしかなかったりするところも少し残念だなと感じます。
あとインターネット環境が良くないかな。今住んでいる場所が牧場の多い地域で、まだ光回線がないんです。なのでポケットWi-Fiを利用しているんですけど、電波が悪くて、部屋の中でも端っこのトイレの窓に置いて、ぎりぎり使えている感じです(笑)。早く光回線が通ってほしいですね。(※令和4年度4月から町全域光回線開通予定)
——趣味や休日の過ごし方について教えてください。
転職を考えた理由の一つでもありますが、自然が好きで、趣味はアウトドアです。キャンプ、登山、釣り、スノボ、何でもします。マンガや映画を見ることも好きで、職場内でマンガを貸して布教活動にいそしんでいます(笑)。休日に尾岱沼のキャンプ場で玄人感を醸し出しながらソロキャンプしたり、アキアジ(鮭)釣りにも誘っていただいて挑戦したりと、別海町はすぐそばに自然があって、アウトドアの趣味も満喫しやすいのでいい環境だと思います。北海道はツーリングをしている方もたくさんいるので、こっちにいる間にバイクの免許を取って、ツーリングをしてみたいなとも思っています。
——今、どのようなお仕事をされていますか?
4月から「別海町酪農研修牧場」という新規就農者を育てる牧場で、研修生と一緒に毎日朝夕2回の搾乳作業や、牛舎の清掃や牛の世話など、本当の農家さんがされている仕事をしています。
週1度は役場に行って事務作業をしています。牧場に活動の基盤を置いていることは、役場の方から強制されたことではなくて、自分からそうしたいとお願いしました。私の1番の任務は、町のメイン産業の酪農のPR活動なんです。減少している新規就農者を増やすための広報的な役割が大きいんですが、何も体験しないで口先だけで「酪農いいですよ」「楽しいですよ」と言ったところで、何も伝えらないと思ったんです。それに上辺だけの話なら誰でもできる。私だから伝えられること、私だから経験できることがあると思って、研修生と同じように働かせてもらうことにしました。牧場仕事を一緒にやって、休憩時間も一緒にご飯を食べたり、遊びに出かけたり、同じように過ごすことで、大変なことばかりでなく、楽しいこともたくさんあるんだよって、心の底から感じられる。そうして感じたことを、皆さんに伝えたいです。
——酪農作業もできることが増えてきましたか?
研修牧場で働いて半年ですが、つなぎ飼い牛舎での搾乳作業もできるようになりました。最初の頃は牛も人のことを見ているのか、私が搾乳をしようとすると嫌がって脚で蹴ろうとしたり、痛いような仕草を出したりしていましたが、最近は牛も「しょうがないから搾らせてやるよ」みたいな雰囲気で、受け入れてくれるようになってきて嬉しいです。少しずつ体験することで実務はできることが増えてきましたが、知識はそうはいかないです。私は専門の学校を出た訳でもないので、情報誌などを読んで勉強していますが、それだけではまだまだです。個体を見て発情期がきているとか、調子が悪いと か農家さんなら判断できることも私はできません。短期間でできることではないですが、知識も少しずつ身につけていけるように、日々時間を見つけては勉強しています。なんでもできるようになったら、就農だねって皆さんに言われています(笑)。
——酪農家さんからお嫁のオファーなど来ませんか?
どこの農家さんに伺わせていただいても、その話にはなりますね(笑)。ほとんど冗談で言ってる感じですけど、将来的に結婚する選択もあるかもしれませんよね。でも今私がやるべきことは酪農のPRで、それを一生懸命するために町にいるし、今のところ結婚に意識は向いていません。人生一度きりなので、20代の間は仕事一筋でいきたいなと思います。
——最後に、この先考えていることや、移住希望者に伝えたいことはありますか?
自分的に、「絶対にこれ」というものはまだありませんが、もしかしたら酪農が楽しくなって、新規就農者を増やすという広報的なことだけでなく、自分も牧場を持って経営したいと思うかもしれないし、元々カフェで働いていたので、おしゃれなカフェを開店して、若い人たちの集まれる場所を作りたくなるかもしれません。もちろん嫁ぐことも1つの候補です(笑)。
移住というと大きな決断をするように聞こえるけど、大したことはないと感じています。環境の変化はひとつのきっかけであって、何処にいてもその人の言動次第で決まる。他人や世間の声に流されず、一度きりの人生、自分で責任を持って楽しみながら過ごせたらいいですよね。やりたいと思ったことには、なんでも挑戦してほしいなと思います。
取材日:2021年10月28日取材協力:別海町酪農研修牧場
インタビュー・文:原田佳美
写真:NAGI GRAPHICS