憧れの観光業界
生まれも育ちも大阪市内で、25歳のときに標津町へ移住し今年で5年目になります。標津町観光協会で働いています。
観光業にはずっと就きたいと思っていて、大学時代には国際観光学を専攻していました。
ゼミでは大阪の「新今宮」という地区で外国人旅行客向けの観光案内所の運営に取り組んでいたんですが、それがいまの仕事に繋がっているようにも思います。新今宮は、もともと日雇い労働者で賑わっていたいわゆる「ドヤ街」なんです。安く泊まれる宿がたくさんあるので外国人旅行客が多く訪れる場所なんですが、地域の方だけでは対応が難しく困っていたんですよね。
私が入っていたゼミは松村嘉久教授という先生のゼミで、「新今宮に活気を取り戻そう」と取り組みや、現場教育に力を入れておられる方でした。そこで、先生が携わっておられた取り組みに学生の私達がフィールドワークの一環として簡易的な案内所を設置し、外国人観光客対応や観光案内をボランティアでやらせいただいたんです。
新今宮は関西空港や新世界・通天閣などへのアクセスが良い地域なので、京都や奈良を含めた広域観光案内にも取り組みました。仕事として携わるのと同じく濃い内容だったので、観光業に就きたいという気持ちや憧れは、この時とても強くなっていたと思います。それに世界中の旅行者と触れ合うのはとても刺激的で好奇心を揺さぶられる、すごく良い経験でした。
私自身も旅行に行くのが好きで、4年生の時にはドイツ・フランス・ベルギーの3国を12日間かけて一人旅をしました。特にベルギーのブルージュという町での体験は今でも本当に良い思い出です。
ある時ユース・ホステルの場所がわからず迷っていたら現地の老夫婦が助けてくれたんです。すごく優しいご夫婦で、車で町の散策などの案内までしてくださって。英語があまり得意ではないので会話はまともにできなかったんですけど、こうした現地の人との出会いや優しさに触れて、観光業に対する思いがもっと熱くなっていきました。
標津町との出会い
就職活動は観光業界にしぼって応募をしていたんですけど、在学中に内定をいただくことが出来なかったので一旦方向転換してデパート内での販売職に就きました。
でも2年くらい働いていくうちに、「やっぱり観光の仕事に就きたい!」という気持ちが抑えられなくってきて思い切って旅行会社に転職したんです。そこでは海外ウェディング部門に配属されて、挙式を希望される方にチャペルやドレスの提案をする仕事をしました。ただ想像以上に忙しくて、仕事に付いて行けなくなってしまったんですよね……。職場のスピード感もそうですし、いくつもの案件を同時進行で処理していくのが苦手なのか頭の中でぐちゃぐちゃになってしまって……(苦笑)。
「憧れの業界でやっと働ける!」ってすごく嬉しかったんですけど、実際にやってみると「これは私には違うのかも…」って思いました……。
お恥ずかしい話ですが、半年で退職してしまったんです……(笑)。でもその後も観光業に携わりたいって気持ちはやっぱりどうしても消えなくって。
そこで前職のような旅行・観光に行く人の準備を窓口でサポートする仕事から、次は観光に来た人が滞在しやすい環境づくりとかまちづくりに現地で携わるのはどうかなだろうって。
自分が現地に立って観光案内などに取り組む仕事ならできるんじゃないかなって。頭のどこかに大学のゼミでの経験が浮かんだのかもしれないです。
それで色々と調べていくうちに標津町観光協会の募集を知ったんです。初めて聞く名前だったんですが、日本の端っこの町ということやキレイな景色の写真を見ていくうちに興味が湧いてきて。募集内容も「酪農や漁業といった町の産業を中心とした観光プログラムに携わる」ということだったので、やりたいことにもぴったりだったのですぐに応募しました。
東京で面接をしてもらい、なんとその場で採用していただけたんです。正直、実感がわかなかったです(笑)。
最高の移住初日
内定を頂いてから、標津町に移住するまで一ヶ月もなかったのでバタバタでした。限られた時間の中で友達に会ったり、準備を進めていたので不安に思うヒマもありませんでしたが、逆にそれが良かったのかもしれません。こういうのは一度躊躇すると止まってしまいますからね。
そんなドタバタした期間を経て、7月に到着。職場の上司が中標津空港まで迎えに来て、まず開陽台でアイスをご馳走してくれました(笑)。北海道の涼しい夏空の下で食べたので余計に美味しく感じました!
開陽台から初めて眺めた根釧台地にも感動しました。涼しい風や高い空、山、それにずーっと向こうまで広がる大平原を見て「これからここに住むんだなぁ」って、なんだか不思議な気分になったのを覚えています。
標津町に着いてからも、飲食店を経営されている観光協会会長がお店に連れて行ってくださって、獲れたてのホタテの刺し身をご馳走してくださって。ホタテのヒモは初めてだったんですけどすごくに美味しかったです。
「どんな場所なんだろう、どんな人がいるんだろう」って少し心配してたんですけど、皆さん優しい方たちで本当に良かったです。こうやって町の人の温かさにたくさん触れた初日を迎えられたからこそ、今でも標津町が大好きでいられているんだなって、そう思います。
人に始まり、人に続いていく
ただ私、移住当初の3か月間はいろいろあって入る予定だった部屋が埋まってしまったんで、標津高校の寮にお世話になっていたんです(笑)。でも、逆にそのおかげで移住生活最高のスタートを切ることができました。
寮ではご飯をみんな同じ時間に食べるので、学生や寮母さんとの交流がたくさんできたし、標津町での生活についてもいろいろとお話を聞くことができました。知り合いが誰もいない土地での生活を始めるのに、そばに話せる人がいる環境はとても心強かったです。想定外ではありましたが、標津町の人たちの温かさや魅力を知る最高の時間を過ごすことができて、本当に感謝しています。
観光協会の事務局は標津町役場内にあるんですが、職員のみなさんも本当に良くしてくださって。特に当時の観光課長は、右も左もわからない私を、仕事だけでなく生活面でもたくさんサポートしてくれました。まだ車を持っていないときは、奥さんと一緒に買い物に連れて行ってくださったり、知り合いも紹介して頂いたり。
最初からいままでずっと人の温かさに触れてきているから、「標津町のいいところは?」と聞かれたら一番は「町の人」なんです。言葉にすると恥ずかしいんですけど、この人達に出会えたからこそ、いまでもこうやって標津町で暮らせているんだって本当に思います。だからかもしれないんですけど、不思議とこっちに来てからホームシックになったことが無いんですよ。
ポー川史跡公園
観光協会では、外から来たお客さんに楽しんでもらうためのイベントやプログラムの企画・運営のほか、ブログやfacebookを活用した情報発信や、都市部イベントでの出展・PRを主にやらせていただいています。
夏場は特に観光イベントが多いのでなかなか休めない時期が続きますが、観光に関する仕事に携わっていられるだけで毎日が本当に楽しいし、すごく充実しています。一つ一つにやりがいがありますし、たくさんの人で作るイベントが無事終わると気持良い達成感があって。
「この仕事をしていて良かったな」って思うのは、日々この仕事で経験することや感じること全部かもしれないです。たくさんの人達と関わりながら作っていく仕事も多いので、つながりもできるし一緒に苦労したり喜んだりと、共有できることもたくさんありますから。
あえて選ぶとしたら、旅行者の方や観光やイベントに携わっている町の方々に「ありがとう」や「助かったよ!」って言葉などのお礼を言ってもらう時ですね。町の、人の役に立っているんだなって思えるし、自分が携わった仕事で誰かが楽しんでくれているのを見たときに「あー!この仕事やっていてよかった!」って思います。
個人的に標津町で連れてきたいところは、まず野付半島。そして町のお店で鮭料理を食べてもらって。おすすめのポー川史跡公園には是非連れていきたいです。諸説あるんですが、「ポー」とはアイヌ語で「小さくてくねくねした」って意味だって言われています。その名の通り公園内にクネクネと曲がった川が流れていて、夏は「北のジャングルカヌー」と称した川下り体験ができるんです。たくさんの野鳥や、林の中で動物を見れることがあって本当にジャングル! って雰囲気を楽しんでもらえると思います。
冬になるとスノーシューツアーもやっていて、生息している動物のほか、運が良ければ熊の爪痕や足跡が見れることもあります。広い敷地内には1万年前から、ここで竪穴式住居などを建てて人が住んでいたことを示す遺跡が2000軒以上残っていて、数としては日本で一番。世界でも有数の場所なんです。鮭の化石も出土していて、自然体験と歴史体験の両方を楽しめる場所なので、是非たくさんの方々に来てほしいと思います。
いい意味で「慣れない生活」
大阪にいた頃は週末になったら買い物に行ったり映画館に行ったりと物に囲まれた生活でしたが、こっちはお店はないけどその代わりフラっと外に行くだけで目の前に広大な自然が広がっている。それだけで生活のひとつひとつが幸せに感じられています。
季節の移り変わりも、「雪が溶けて緑が出てきたからそろそろ春だ」とか、「大平原が真緑から黄金色になってきたから秋が近いなぁ」って、一年を通して自然の変化を目や肌で感じられることってすごいなって今でも思うんです。毎年新しい発見があるし、いい意味で慣れずにこの環境を楽しめています。
移住生活は“人”との関わり
この地域は人と人の繋がりが強いし、とても濃いです。そのぶん一人ひとりの距離が近いので最初は戸惑いましたが、裏を返せばそれだけ親密ってことだしみんな仲良しってことなんですよね。だからこそいろいろトラブルがあったとしても最後はやっぱり元通りになるし、それってすごく素敵なことだなって思います。漁師の方々はたまに浜言葉がきつく聞こえてしまうこともあるので、最初は怖かったんですけど……(笑)。でも話せば優しい人ばかりで。
移住生活って自分から積極的に関わりを持とうって動くことがとても大事だと思います。
親戚も友達も家族もいないところで住むってことは町の人との繋がりが大きな頼りになってくるし、繋がりを持つことが町での生活を素晴らしいものにしてくれる。標津町を好きになれたのも、そんな町の人たちがいたからだし、「人こそ、このまち最大の魅力」だとも思うんです。特に私の場合は移住生活の最初から町の人と近い距離で接することができたので、余計に感じるのかもしれません。
5年住んでも新しい発見がまだまだたくさんある標津町が大好きですし、町の人達もとても好き。この先もずっとこの町で暮らしていきたいと思っています。あとは、素敵な出会いがあったらもっと良いです!(笑)。
インタビュー、撮影、テキスト:倉持龍太郎(提供写真は久保田早也佳)