ほらり

廣田洋一:移住は「目的じゃなくて、手段」「場所じゃなくて、人」。

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約9分

アメリカ留学後、Intelに入社。

生まれは岩手県の矢巾町(やはばちょう)です。高校は隣町の盛岡に行って、その後、何か普通じゃないことをやりたくてアメリカの大学へ進学しました。最初の一年はモンタナ州、そして二年目からはオレゴン州でコンピューター・サイエンス学科を専攻していました。

帰国してからは『Intel』に入社しました。1991年の事です。Intelはアメリカではよく知られた会社でしたが、日本での知名度はまだまだ低くて、かあちゃんに「は?何の会社?インテリアの会社?」ってポカンとされたのを覚えています(笑)。

Intelではいろんなことをやらせてもらいました。入社当初は技術として、その後はマーケティングや新規事業開発。販売チャンネル開発を担当させてもらったこともあります。新規事業開発をしている中で、『DUNKSOFT』さんという会社に出会い、それが縁で別海に来ることになりました。

DUNKSOFTとの出会いと、テレワーク。

DUNKSOFTさんが社内で実践している働き方である『テレワーク』。その言葉は知っていましたし、どんな事をするのかも知っていました。ただ、「テレワークを啓蒙する活動」が「会社として利益を生む事業」なのか? ということが、頭のなかで上手く結びついていませんでした。「サテライトオフィスを地方に作って、そこでテレワーカーとして働いてもらう」ということは、効率が悪くて、なんでそんな非効率なことをやっているんだろう? と思うこともありました。「売り上げ効率」ということだけを考えていて、そこに「人材を確保する、確保し続ける」という経営的な視点がなかったんですね。会社経営の中の「人材確保」という視点を持つと、テレワークという仕組みが、これからの日本には絶対的に必要な仕組みであるということが分かり、モヤモヤした気分が吹っ飛んだ感じでした。

そして、別海へ。

別海に初めて来たのは2015年の10月で、DUNKSOFTさんと一緒に、別海で行われた『ふるさとテレワーク事業』関連のイベントに参加したのがきっかけです。

すでにその時にはIntelを退社して、GenKidsという会社を起業していました。大きな企業でできることには、正直限りがあります。一つのことをやろうとしても、しがらみや根回しが多くて、実現するためには違うところで神経を使わなくてはならない。それは時間の使い方としてすごくもったいないと考えたんです。起業して自分が社長になれば、その時間は短縮できるし、やりたいこともできそうだ、と思って退社して、起業しました。

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GenKids株式会社のFacebookページより

起業してすぐに別海に住もうとは考えていませんでした。むしろ一箇所に留まって事業所を持つより、全国各地を巡り、行く先々の町で、ITを使いこなせていない中小企業のお手伝いができればいいなと思っていました。キャンピングカーを買って、「さすらいのITコンサルタント」になって、モバイルワークという働き方を身をもって証明すれば、それが事例になって、仕事にもなるかなと。

最初はその候補地の一つのつもりで、別海に来てみたんです。すると、ここが想像以上にITが普及していなくて……。IT講習なんかをやってみると「え? こんなことで感動してくれるんだ!」といった具合に、驚きの連続です。まさに「ITの未開拓地」にやってきて、「ITの神様降臨」といったところでしょうか(神様ではない、普通のITをずーっと仕事にしてきただけなんですけどね……) 。なので、そんな未開拓地に留まってやってみるのもいいかなと思ったんですね。

場所よりも、人。

別海に惹かれた理由は、別海という「場所」ではないです。もちろん綺麗な場所がたくさんあって、写真を撮ったりするのも楽しいのですが、僕の場合、最初に関わった「人」に惹かれたからなんです。今、住んでいる場所(旧光進小中学校教員住宅)のお隣にある牧場を経営されてる島崎さんと、同じく道外からの移住者で、近所に住んでいる善甫さん。その二人に出会って、なんとなく「いける!」と思いましたね。

田舎が都会と違うのは、「やる気」を持った人の数だと思います。ここに来て、たまたま「やる気」をもって、いろんなことにポジティブにトライされていてる島崎さんと善甫さんに会って、ものすごく感銘を受けたんです。「別海に残るのは面白いかもしれない!」と思いました。

交通事故で感じた「別海の人の温かさ」。

実際に別海に住んでみて困ったことは、「ない」ですね。僕って単純なんです。人間ってすごいと思うのが、どこへ住んでも「住めば都」じゃないですか。ここに住んでしまえば困ることはそれほどなくて。飲み屋が少ない、ファミレスがない、スーパーやコンビニは遠い、みたいな話はありますが、それほど困らないです。ちゃんと暮らせますからね。

冬に路面が凍結していて、車が滑って事故を起こしたこともありますが、「もう嫌だ!東京に帰りたい!」という気持ちにはなりませんでした。逆に周囲のたくさんの人たちに助けて頂いて、図らずも人間関係が濃くなりました。車を救助してもらっただけじゃなく、その後も代車を提供して頂いたり、病院に連れて行ってもらったり、「最上級のおもてなし」がそこにあったと思います。田舎の人からすると、そういう「助け合いの精神」は当たり前のことなのかもしれませんが、東京にいるとそういう感覚ではなかったですから、逆にここまでやってもらって申し訳ない……という気持ちにもなりました。頼れる隣人が近くにいるというのは本当に心強いことだと思いますね。

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多拠点のススメ。

東京から別海に来るためにかかる時間は、飛行機で1時間半ほどですが、それって東京から新幹線で静岡近辺にいくのと同じぐらいなんですよ。ちゃんと交通手段があるから、距離はさほど問題ではないと思います。「ここで腹括って一生過ごします!」っていう方もいると思いますが、もっとカジュアルにいろんなところで暮らしてみてほしいと思う。ここに住民票を移しました。だからここにいなければいけない。という「義務感」は辛いと思うんです。暮らしたい場所で、楽しく暮らせるというのが基本だと思う。固執はしなくてもいいと思います。「夏の間は涼しいし、花粉症もないからこっちにいて、冬は雪もあるし寒いし、沖縄に行こう!」といった形で、多拠点で生活するのもアリかなって思います。

僕の場合は住民票を移してはいないので、住民票を移すことを「移住」とするならば、定義からは外れているかもしれませんが、長期的に仕事をここでして、住んで暮らしていくという側面を見れば「移住」という考え方の一つなのかなと思いますね。

僕のようなITの仕事の場合、テレワークが可能で、どこへいても仕事ができます。だから移住はあくまで人生を楽しくするための「手段」です。例えば「子供の将来を考えて、自然がいっぱいあるところで暮らしたい」、そのために移住するというのであれば、それが移住の「目的」だと思います。移住して自分が何を成したいのか? が重要で、移住そのものを目的にしてはいけないと思っています。

人の輪を広げる楽しさ。

今楽しいのは、人の輪が広がっていくこと。こちらの人って本当にシャイなんですよ。いろんな思いや考えがあっても、それを表現しない。言ってくれないんですよ。みんなの前だと特に。田舎だから、人の目や噂を気にして、思っていても言わないんですよ。けれども、一人一人にちゃんとお話を聞くと、好きなことがあって、こんなことをしたい!という想いが溢れてくる。それが聞けると、その人が分かって、その上で「この人とこの人をつなげると何かが起きる」って思うんです。

町の人全員をつなげることはできないかもしれないけど、「誰か」と「誰か」をつなぐことはできます。同じ考えの人がつながることで、何か新しいことが生まれる可能性がグン!と高くなります。こういう小さな人の輪が広がって、段々大きくなって、町の新たな動きになっていく。そんなつながりを生み出す機会を探している今がすごく楽しいです。今はまだ小さいかもしれないけど、これが今の若い世代にも伝わる動きになるといいですね。

もっとアピールを!

別海に人が移住してくるようにするためには、もっともっとアピールをしてもいいと思います。別海のことを同じ道内の人でも知らないことがあるじゃないですか。寡黙に暮らしている方が多いので、自分の町をアピールするってことをあまりしないんですよね。なので、町もそうですが、個人個人だってアピールしていったら面白いと思います。今だとITを駆使してアピールしていく方法はいくらでもあります。アピールすると、人のつながりが増えて、それがきっかけで別海へ移住してくる人が増えると思います。

個人でもそうだし、町としても、道東としても、北海道としても。その発端となるのが『ほらり』であると思っていて、アピールをちゃんとして、おもてなしをちゃんとしてあげて、人のつながりをリアルに作ってあげて、ってことをするのが『ほらりプロジェクト』ですね。仕事って昔から事象ではなく、最終的には人なんです。だから人が根本的につながれば、何事も解消できると思う。

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©DUNKSOFT / photo by Yojiro Kuroyanagi

僕がこの町から不要になることが目標。

別海の滞在期間は最初から「3年」と決めています。期間を定めないと、「そのうちできたらいいなぁ〜」というように、仕事をダラダラと先延ばしにしてしまいがちなんです。

僕が目指している最終的な形は、「僕がここで何かをやる」ではなくて、「町の人たちに何かをさせること」なんですよね。

僕が何かをやることは簡単、と言ったらおこがましいのですが、やれちゃうんです。例えば、僕がウェブサイトを企画して、作って、運営することはできます。でも、僕が何から何まで全部やっちゃダメなんです。なぜなら、もし僕がこの町からいなくなったら、そこでストップしてしまうから。ウェブサイトを作るにしても、町の人たちと一緒に企画して、作って、動かしていけるようになって、そんな新しいことを町の人だちだけでできれば、僕は不要になるじゃないですか。それも、町の人が「町おこしのために」ではなくて「この町が好きだから」という気持ちを持ってやれたら、僕の仕事は大成功です。

でもわからないですよ、もしかしたら3年後には別海の大牧場の経営者になってて、ずーっとここ住んじゃうかもしれません(笑)。

2016年2月14日収録
インタビュー・テキスト・撮影(クレジット表記のないもの):NAGI GRAPHICS
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