ほらり

倉持龍太郎:自分の成長を町の成長に。

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約10分

ただ、好きなことにがむしゃらだった青春時代

地域おこし協力隊として4月から別海町役場に勤務しています、倉持龍太郎(くらもち りゅうたろう)です。平成元年生まれの現在26歳。名古屋生まれの東京育ちです。ちなみに名古屋出身と言っても、生まれた病院が名古屋なだけで、物心ついた時からつい先日(3月)まで、ず~っと東京の町田市育ちなんです。なので「名古屋弁」は話せません(笑)。

小・中学校は地元の町田の学校。高校は世田谷にある駒沢大学高校へ行きました。本当は地元の公立高校に行きたかったんですが、当時通っていた塾の先生や親からも勧められて「なんとなく」進学したのが正直なところですね。特に「これがしたい!」って理由で高校を選んだ訳ではないんです。部活はバスケ部に入ったんですが、色々と部の方針と合わなくて…部活は辞めて社会人のバスケサークルに入りました。それからはバンドやったり、本読んだり、バスケしたり…そんな高校生活でしたね。ぶっちゃけ友達少なかったです(笑)。

大学もそのまま駒沢大学へ。学部は経営学部、経営学科でした。「出来の良さそうな人」に聞こえるかもしれませんが、全然なんです。せっかく進学したのに、全然学校行かなくて(笑)。バンド活動したり、今、実際に映画監督になった友達がいるんですけど、その友達と映像制作ばっかりしていました。学内での人の繋がりよりも、学外の人との繋がりで活動することが多かったんです。アルバイトも結構していましたね。ようするにあんまり勉強してなかったんです。とにかく好きなことに夢中で、がむしゃらに青春を謳歌していました。

好きなこと=仕事=将来!?

僕、特に将来のこと何も考えていなかったんです。だから、学生時代の卒業文集とかでよくある「将来の夢」とかは、その作文の為にわざわざ夢を考えるっていう感じでした。

たしかに音楽とか映画制作とか、その時、その一瞬、夢中になれることはたくさんあったので、その道を目指そうかな!? と思った時期もありました。ただ、そういう『好き』を『仕事』にすると、好きなことが嫌いになってしまいそうな気がして…どこか現実的に考えていたのかもしれません。

あ、でも小学校の時はたしかに「将来の夢」ありました。古生物学者です(笑)。恐竜が大好きで、映画ジュラシックパークのアラン博士を見て、子供ながらに「恐竜のこと考えながらあんなことしたい!」って単純にそう思ったんです。もちろん、古生物学者が実際にどんな仕事なのかは知りません(笑)。

就職氷河期。たたみかける悲報。

そんな僕も大学3年になって、いよいよ将来のことを現実的に考えなきゃいけない「就活」の時期が来ました。

具体的に「こんな仕事がしたい!」っていうのはあまりなかったのですが、ぼんやりと広告系の仕事に憧れはありましたね。普段の生活で頻繁に見る「広告」を自分でも作れるようになりたいと思ったんです。当然、人気がある職種なので簡単に内定をとれる訳はなく、悪戦苦闘していたのは言うまでもありません(笑)。そんな就活の真っ只中に、忘れもしない出来事がありました。『3.11 東日本大震災』です。

当然、ほとんどの企業が採用活動がストップ。もともと明るい性格ではない上に、就活も上手くいかず、気持ちも沈んでいました。更に、そんな状況に追い打ちをかけるように、祖父の命が長くないことがわかり、ものずごい虚無感に苛まれました。当時テレビから流れる悲しいニュースも…その中で動かないといけない就活も…祖父の悲しい知らせも…。

今思い出しても本当に辛い時期でした。ただ、祖父がまだ生きている間に、なんとか内定をもらった自分を見せたい! その一心で就職活動を続け、何とか大学4年の10月に内定をもらうことができたのですが、祖父へ直接の報告は間に合いませんでした…。

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撮影:國分知貴

社会人生活がスタート! …した訳だが!?

やっとの思いで就職した会社は、某電気関係の会社。自分の役割は営業職でした。仕事内容は外回りの営業で、1日100件周るのはザラ。次の提案につながるようなキッカケを作るのが僕の仕事でした。

ただ…ちょっと言いずらいんですけど、入社4ヶ月で辞めちゃったんです(笑)。仕事そのものが嫌になって辞めた訳ではなくて、自分は『仕事』をしに来ているのに、同僚、先輩がとにかくチャラチャラした雰囲気で…仕事に関係ない事まで色々言われたりして…。そんな環境で時間を過ごすこと自体がバカらしくなって「あ~もう!こんな時間の使い方したくない!好きなことやってやる!」って。今までの就活の苦労とか、辛い出来事とか、もろもろ弾けちゃったんですね(笑)。

そこからはバンド活動をしたり「好きなこと」の活動をしました。が、もちろん仕事をしないと食べていけないので、色々な仕事はするんですが、人間関係とか色々な理由でまた辞めたりと、結局『好きなこと』で何かを目指す訳でもなく、我慢して真面目に仕事を続ける訳でもなく、コロコロ仕事を変えては転々としてたんです。

嫌いな自分を変えたい!

正直、そんな自分が嫌いでした。いい年齢なのに自分は何をしてるんだろう? 何で自分ってこうなんだろう? って。

親には経済的にも、精神的にも依存していて、周りを見渡せば昔からの友人もたくさんいる環境。頼れる人、甘えられる人がいつもすぐそばにいたんです。良く考えたら今までの仕事も全てそう。人間関係で色々考えていたことも、それが理由で職を変えていたことも。結局は自分の「甘え」とか「依存心」が、根底にある問題なんだって気づきました。

そう思ってからの就職活動は今までとは視点を変えました。「絶対自分を変えてやる!」って決めたんです。その為には東京を離れて、友人にも親にも、誰にも頼れない厳しい環境に身を置こうと考えました。気づくのは少し遅くなってしまいましたが、自分を変える為に1からやり直す覚悟を決めたんです。

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撮影:廣田洋一

運命のタイミングは偶然に

まずはネット検索から仕事探しを始めたのですが、そこで「たまたま」出てきたのが、今回の求人(別海町地域おこし協力隊)でした。正直「別海町ってどこ?」って感じでした。そもそも北海道に行ったことすらありませんし(笑)。でもそれが良かったんです。僕にとって重要だったのは「自分を変える」こと。直感でビビッときて、すぐに応募しました。

その後、東京で面接して頂いたんですが、志望動機が「北海道に興味があって」とか「地域おこし協力隊に興味があって」っていう、いわゆる真面目な動機ではないだけに、ある意味大変でした。「特に別海町に興味があった訳ではありません」なんて素直に言えませんし(笑)。でも「自分を変えたい」その気持ちは素直に伝えました。他は聞かれたことに答えるのに精一杯で、正直あまり記憶に残っていません(笑)。

結果は郵送でと言われたので、そこからは毎朝ポストを見に行ってましたね。結果次第で自分の人生がガラリと変わる訳ですから、ドッキドキでした! ただ、結局、内定通知は電話で来たんですが(笑)。毎朝のポストチェックのドキドキはなんだったんだ! と思わず心の中で突っ込んでしまいましたが、めちゃくちゃ嬉しかったです。

沖縄と北海道の天秤

でも実は、その時もうひとつ別の会社で内定をもらっている所があって。そこがまっっったくの正反対なんですけど…沖縄の会社なんです。僕、沖縄の会社にも応募していたんです(笑)。

内定をもらった北海道と沖縄を「天秤にかけてません」と言ったら少しウソになってしまいますが、迷いはありませんでした。なぜなら、沖縄はリゾートっぽい印象があるけど北海道、ましてや別海町は調べる限りリゾートと呼ぶには程遠い場所。そもそも沖縄には行ったことがあるが、北海道に行ったことすらない。沖縄には友人がいて北海道には友人はひとりもいない。…より厳しい環境に決定です(笑)

僕、今回は行ってただ「楽しかった」で終わるフワフワした感じは絶対に嫌だったんです。「自分を変える」ことがテーマでしたから、より甘えのない環境、より誘惑のない環境に自分を置きたかったんです。

そう決断してから北海道へ発つまでは、怒涛の2週間でした。バイト先のシフトも出ちゃってましたし(笑)。バイト先にはなんとか理解して頂いて、大急ぎで引越しの準備を進めましたね。

初北海道は初体験だらけ!

こうして3月27日に別海町へ。羽田空港から中標津空港までのフライトでした。この日は青空が広がっていて、空から北海道の大地、道東の大地を眺めていると「あ~なんもね~な~」って感じでしたね。到着後、空港を出た瞬間もやっぱり…「うん。なんもない!」っていうのが僕の初北海道の印象です(笑)。でも、海外に来たような感覚と、味わったことないような気持ち良さがありました。

空港からバスに乗って別海町に来たんですが、道中、窓から見える景色は、山は全然ないし建物も全然ない。でも雪はある! キツネもいたー! って感じでテンション下がったり上がったり。その後、別海町に到着したんですが、日曜日ですし、役場の担当の方に迷惑かけても申し訳ないと思って、この日は民宿に泊まることにしたんです。宿泊先をスマホで調べたら、結構出てきたんです。でも電話に出なかったり、詳しく調べたら日曜日が定休日!? だったり。他の宿をあたろうと思っても、実際には1件1件の距離ももめちゃくちゃ遠いし。地図と実際の距離感がつかめてなかったんですよね(笑)。

結局なんとか宿は見つけたんですが、次は食事です。晩御飯を食べようと外に出たんですが、すぐ近くに飲食店が全然ない。そこで「ぱっ」と目に入ったのがオレンジ色の見たこともないコンビニで晩御飯を買うことにしました。セイコーマートです。営業時間があることにまず驚きましたね。今まで見たことなかったので(笑)。とにかくカルチャーショックだらけの初日でした(笑)

道東の自然に感動

次の日は役場に挨拶へ。もう一人の地域おこし協力隊との初顔合わせでした。自己紹介もかねて、会ってその日に飲み明かしましたね(笑)。それから、勤務開始の4月1日まではまだ数日あったので、2人でレンタカーをかりてドライブに行くことにしました。

思い立った時には、すでに夜。22時からの出発して、真っ暗な道路を寝ないで観光地巡りしました(笑)。野付半島から始まって、風蓮湖(ふうれんこ)、根室方面へ。そのあと、朝日を見に反対方向の羅臼へ。どこに行っても空を見上げれば満天の星空、美味しい空気、東の果てで見る美しい朝日、運転している車に並走してくる蝦夷鹿(笑)。何もかもが新鮮でした!

広がる『人の輪』

そして4月1日から、いよいよ地域おこし協力隊としての業務がスタートしました。僕が配属されたのは、移住・定住促進をメインに、総合的に町の業務に携わる『総合政策課』です。スタートしてから1週間程度(※取材当時)ですが、まずはこの町を「知る」ことから始めています。具体的には、町内の観光地を巡ったり、人に会って色々なお話を聞いたり。今はまだ、僕から発信できるものはないと思うんです。

この町にはどんな人がいるのか? どんな地域なのか? どういった課題を抱えているのか? 色々なヒト・モノ・コトに意識を傾けることで見える世界や、そこで自分の意見や発信が活きてくると思うんですよね。まずはどんどん吸収していきたいと考えています。

あと、活動する中で一番驚いているのは「人の輪」の広がり方です。誰かと知り合えば、その周りの方とすぐに繋がる。まだ別海町に来て1~2週間ですが、ひしひしと肌で感じますね。何だか町全体が家族みたいであったかいんです。東京での生活では無かった感覚ですね。あ、もしかすると噂話もすぐに広がるのかな?(笑)

3年後になりたい自分。自分の成長を町の成長に。

先にもお話しましたが、特別「北海道に来たい!」「別海町に来たい!」っていう理由で来た訳ではありません。なので、正直まだ具体的に「こんなことを成し遂げたい」って、格好良く言えないんです…。ただ、目標はあります。

これから別海町で過ごす3年間、色々な人に出会って、どんどん吸収して、自分自身楽しんで、発信していく。そうすることによって別海町にも良い結果が生まれたら最高です。更にその結果、別海町に来るキッカケにもなった目標「自分を変える」ことを達成して、自信を持って30代を迎えることが目標です。

もし、あの時ネット検索してなければキッカケすら無かったかもしれません。自分を見つめ直すタイミングが少しズレていたら、まだ何も変わらず東京で働いていたかもしれません。そう考えると、人生本当に「縁」と「タイミング」なんだなぁ~って思います。

3年後どうなってるかなんて本当にわかりません。別海町が大好きになって住みついてるかもしれませんし。森の奥でCDショップなんかも良いかも(笑)。色々妄想はふくらみますが、まずは自分の目標にまっすぐ向かって頑張ります。

2016年4月17日収録
インタビュー・テキスト:國分知貴
撮影:國分知貴、廣田洋一(カバー写真含む)、菅原銀二郎
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