ほらり

山本唯:別海でグラフィックデザイナーになる。

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約9分

手伝うのが当たり前。

出身は別海町で、両親は酪農業を営み、5人兄弟の第一子として生まれました。酪農の仕事は朝6時から始まり、夜は19時まで。両親は忙しく、きょうだいも多かったので、自分のことは自分でやれるように育ちました。物心がつく頃には自然と家の仕事を手伝い、私が10歳の頃にうまれた一番下の子は、よくおぶって子守をしたことも覚えています。子供の仕事は、子牛の世話。掃除をしたりミルクを飲ませたりと、小さな頃から牛と一緒に育ってきました。下のきょうだいたちが手伝えるようになってからは、私は家事の手伝いをメインにやっていました。酪農家の子供は「手伝うのが当たり前」。子供たちの仕事がちゃんとあったんです。

酪農は生き物を相手にしているので、なかなか家を空けられないのですが、年に一度の家族旅行が楽しみで、そのお小遣いを稼ぐために一生懸命働いていましたね。家の手伝いばかりで「嫌だなぁ」と感じることもあったけれど、そういう環境が今の自分を育ててくれたと大人になって感じています。

憧れのファッション業界へ。

小中高は地元の学校でしたが、高校卒業後は、ファッションへの興味や憧れもあり、札幌の『北海道ドレスメーカー学院』へ進学しました。そこでは洋服のデザインではなく、お店の経営・販売をメインに学んでいました。

卒業してからは、東京のセレクトショップで販売員の仕事に就きました。「ショップ店員」と言うと一見華やかな仕事に見えますが、実際は体力勝負の仕事で、毎朝満員電車で出勤し、終電近くに帰って来るような、本当に多忙な毎日でした。慣れない接客の仕事で挫けそうになる事ばかりでしたが、職場の先輩・お客様に恵まれ何とか務めていました。

グラフィックデザイナーへの転身。

そんなある日、催事の際に店内にPOPを張り出すのですが、それを自作したことがあったんです。パソコンで試行錯誤しながら作ったのですが、それを作ってる間がすごく楽しくて。完成したものもすごく好評で、今まで感じたことのないようなやりがいがあったんです。もしかするとアパレルよりこっちの方が私には向いているんじゃないか? と思ったんです。

小さい頃から絵を描くのが好きだったり、専門学校時代に札幌のアート系オンラインマガジン『SHIFT』のお手伝いをしていたこともあり、元々グラフィックデザインに興味はあったのですが、これがきっかけで、本気でグラフィックデザイナーになりたい! と思うようになりました。

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札幌での新たなチャレンジ。

販売員の仕事は1年ちょっとで区切りをつけ、グラフィックデザイナーになるべく、学生時代に住み慣れた札幌に再び引っ越してきました。デザインの仕事は札幌よりも東京の方が圧倒的に多いのですが、私には東京での生活は肌に合わなかったというか、東京は住むところじゃないな……って思ったんです(笑)。

当時はあまり蓄えもなく、グラフィックデザインの勉強をしようにも学校には行けなかったので、今まで自分が作ったものをかき集め、ポートフォリオ(作品集)を作りました。今思えば、本当にお恥ずかしい代物ですが……。当時は「当たって砕けろ!」精神で、ポートフォリオを抱えて色々な会社の面接を受けに行きました。ほぼ実務経験がない私でも、採用していただける広告代理店があり、そこのグラフィック・デザイナーとして就職することができました。私は本当によちよち歩きの初心者デザイナーだったので、上司の熟練デザイナーにデザインの基礎をビシビシ教えていただきながら仕事を覚えていきましたね。

新たな出会い。

そこでの仕事は徹夜をすることもあるくらいに忙しかったのですが、好きな仕事だから、辛いながらも楽しくやれていました。しかし、入社二年目で会社自体が倒産してしまうということで、やむを得ずデザインの仕事から離れることになってしまったんです。デザイナーとしてのスキルアップはこれから! っていうタイミングでの倒産だったので、ここで離れてしまうことはとても悔しかったです。その後、友人の紹介を受け、コンピューターや携帯電話のテクニカルサポートをする仕事につきました。

ちょうどその頃、別海に帰省している際に、友人の紹介で今の夫と出会いました。彼が漁師をしていることを知ったのはもっと後のことでした。その後仲良くなり、二人で遊ぶようになり、交際が始まりました。札幌と別海の遠距離恋愛でしたが、Skypeなどを利用して頻繁にコミュニケーションが取れていたので、寂しい気持ちはさほどなかったですね。

結婚〜別海での職探し。

その後4年半交際して、結婚することになり、去年別海に帰ってきました。

こちらに来てすぐの頃は、結婚式の準備やご挨拶などがあり忙しかったのですが、それも落ち着くと、仕事をすることもなく、ただ家事をするだけの生活に、割と早い段階で耐えられなくなりました(笑)。もともと、旦那さんの稼ぎで何か買い物をしたり、お小遣いもらったりっていう状態に抵抗があったので、早く働きたかったんです。すぐに仕事がしたくて、ハローワークに行ったのですが、やりたい仕事がほとんどありませんでした。デザイン関係の仕事ができるとは思っていませんでしたが、漁師の嫁として、家庭と仕事が両立できるような仕事を探すのは難しかったですね。

その後、知人の紹介で別海の商工会の短期アルバイトに就くことができました。フルタイムではありませんでしたが、お小遣いではなく、自分自身で稼いだお金が得られるし、家事も両立できたので、やりがいがありました。現在は町内にある「くるみ幼稚園」の事務として働いています。

結局、別海ではハローワークに仕事を探しに行くよりも知人に相談し、人伝いに紹介してもらった方が好条件の仕事が見つかることがわかりました。でも、みんながみんなそういった知り合いがいる訳ではないので、きちんと情報が集まっているところが必要だと思いますね。

くるみ幼稚園にて(撮影:幼稚園のスタッフさん)

グラフィックデザインへの思い。

札幌で志半ばで断念せざるをえなかったグラフィックデザインの仕事ですが、別海では需要もほとんどないだろうし、再開する気はなかったんです。

そんな時に別海でテレワークという働き方の実証事業が始まり、その実施主体団体の『Be-W.A.C.』の代表である山本瑞穂さんからイベントのチラシを作って欲しいと依頼がありました。そのチラシをご好評いただき、久々にグラフィックデザインの仕事に手応えを感じることができました。

すると、テレワーク実証事業の関係者の方々から夫婦でデザイン事務所を立ち上げることを勧められたんです。グラフィックデザインで起業、なんて私にとっては青天の霹靂と言いますか、あまりにリアリティのないことだったので最初は戸惑いましたが、Be-W.A.C.の方々や、テレワーク実証事業で別海にお越しになったDUNKSOFTやMicrosoftの方々にアドバイスをいただき、抱えていた不安がクリアになっていきました。

旦那さんも元々グラフィックデザインが得意で、知り合いから依頼された仕事をちょこちょこやっていた経緯もあったので、一人ではなく夫婦なら力を合わせ運営していけるかもしれない!と思い、デザイン事務所を開業することに決めました。屋号は夫が漁師なので、「凪」(風が止み、波がなくなって穏やかな状態)という言葉を使って『NAGI GRAPHICS』と名付けました。

NAGI GRAPHICS開業。

夫は漁師兼グラフィックデザイナー、私は事務職兼グラフィックデザイナー。NAGI GRAPHICSは副業になります。加えて事務所は自宅を兼ねているので、『在宅ワーク』になります。

夫は時化で漁が休みになったり、午前中で仕事が終わったり、働く時間にばらつきがあるので、空いた時間を自分のペースで自由に仕事ができるこの「在宅ワーク」は向いていると思います。私も婚前と同じように会社勤めもしたいし、家事もきちんとこなしたいし、今後子育てもしなければいけなくなるかもしれませんが、「在宅ワーク」という手段であれば時間を有効に使えるのでバランスが取りやすいんです。これが例えば夫婦でどこかのデザイン事務所に雇用されていて、毎日決まった時間に出勤しなければいけない、という働き方だと難しかったと思います。

このような働き方なので、一般的なデザイン会社よりも納期を長めにいただいています。本業、デザイン、家庭、どれに支障があっても続かないので、そこをご理解いただいた上でお仕事しています。夫婦で同じ仕事をすることで、喧嘩も多くなりましたが(笑)、同じ目標を共有することで協調性も深くなりました。

起業して気がついたこと。

開業する前は月に1~2件の仕事があればいい方かな〜? なんて思っていましたが、実際に始めてみると、想像以上に需要が多くて驚きました。ありがたいことにたくさんのご依頼を頂いています。供給できる人も限られているので、「需要の強さ」を感じます。だからこそ、きちんとしたクオリティのものを届けたいと思っています。お客様に「期待していた以上のものが出来たよ!」と喜んでいただけた時には、「この道を選んで良かった!」という充足感で満たされますね。

仕事が増えてきて忙しくなってくると、バランスが取れずに、あたふたすることももちろんあります。でもそんな時は夫に家事のお手伝いをお願いしています。「言わなくてもやってほしい」なんて世間では言われるかもしれませんが、ちゃんと言えば協力してくれるので、すごく感謝しています。何かストレスが溜まれば、夫に当たることが多いのですが……(笑)。そんなことも受け止めて、支えてくれる夫の存在が一番の頼りですね。

NAGI GRAPHICSとしての今後の目標は、まずきちんと仕事として継続していくこと。デザインのクオリティを追求し続けること、そして暮しのバランスを崩さずに仕事をすること、ですね。また、ゆくゆくは今全国で盛んに行われている「地域デザイン」にも挑戦してみたいです。今は「地方創生」という言葉が認知されてきて「地方で成功する!」というのがクールな時代になってきていると思います。私もやってみて気がついたことですが、地方でクリエイティブな仕事をするということは、自ら開拓できる環境がたくさんあるということ。そういう意味では別海はキャパシティの大きい町だと思います。グラフィックデザインに限らず、今後別海にクリエイターがどんどん増えていったら嬉しいですね。

2016年3月21日収録
インタビュー:山本瑞穂
テキスト:山本瑞穂
撮影:NAGI GRAPHICS
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