ほらり

小林義敬・惠美:トライ&エラーができる場所

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約8分

義敬さんがふとしたきっかけで飛び込んだ惠美さんのご実家の酪農業、そこは自由にトライ&エラーができる場所でした。何でも自分で取り組むワイルドな義敬さんと、 笑顔が素敵な惠美さんお二人にお話を伺いました。

——自己紹介をお願いします

小林義敬さん(以下義敬さん):生まれも育ちも神奈川県横浜市です。高校卒業後は、八王子の専門学校を経て、IT系の企業に勤めていました。数年に一度の異動で、あるプロジェクトの担当を任せられ、札幌に赴任しました。3ヶ月だけといわれていましたが結果的に7年札幌にいました。

小林惠美さん(以下惠美さん):私は別海町豊原の生まれで、高校卒業後、札幌の保育系短大に進学しました。それから札幌と埼玉に在住中に、保育園で保育士として7年ほど働きました。

——別海に移住したきっかけは?

義敬さん:正直、前職はどうしてもそれがやりたいと思って入った仕事ではないんです。当時流行りのITを使って何かをしてみたいという漠然とした気持ちはありまし た。

でもそれが具体的に何かと言われるとわからなかった。会社でも家でも勉強、通勤時間も関連情報を調べたりと、プライベートがコンピューターに支配された世界でし た。

20代のうちは苦手なこともやって克服した方がいいと考えていたので続けていましたが、30代手前になったときに、苦手なことを無理してやっても得意な人には勝てない。それだったら得意なことを仕事にした方がいいのではないかと。

それで何か探していた時に、長期の休暇を利用して妻の実家で酪農の仕事を手伝ってみたらこれが性に合っていたんです。具体的なところは語りだすと長いのでここでは割愛させてもらいますけど(笑)。

惠美さん:私は、主人が牧場を継ぐと言わなければ、実家に戻ってくる可能性は低かったと思っています。でもやっぱり実家のことは気になっていましたね。4人きょうだいですが、みんな酪農家とか自営業をするタイプではなかったので、誰も継がないのであれば、両親には諦めてもらうしかないのかなって思っていたので、主人にはとても感謝しています。

——実家の酪農を継ぎたいと話した時の惠美さんのご両親の反応はいかがでしたか?

惠美さん:すごく喜んでいました。本気でやるなら早い方がいいって。父が経営していた頃は、誰か継いでくれる人がいた方がいいと言っていたので。祖父母や親戚からも感謝の言葉をかけてもらいました。

——酪農を始めて戸惑ったことや、困ったことはありますか?

義敬さん:仕事の開始時間が曖昧だったり、義父の指示がザックリしているところは、最初のうちは戸惑いました(笑)。

でも慣れてしまえば、要は休憩せずに仕事をすればいいだけのことですから。何か言われる前に求められている以上のことをこなすよう努力して結果を出せば、怒られることはないですね。

——北海道の暮らしは寒くなかったですか?

義敬さん:もともとスノーボードや登山で冬山には慣れていたので寒さには強いです。札幌に転勤になった初年度は暖房なしで過ごしました。部屋の中で登山用のダウン着て、普通に生活していました(笑)。4階建てRC造のアパートの2階だったので、水道が凍結することもありませんでしたしね。

惠美さん:それを見て「なんだこの人は」って思いました(笑)。

——別海町での暮らしはどうですか?

義敬さん:住む地区によって本当にライフスタイルが変わってくると思います。市街地はともかく、郊外だと自動販売機やコンビニに行くのにも車で10分はかかってしまいますから。

惠美さん:でも都会も似たようなものかもしれませんね。ここからスーパーに買い物に行くのに車で15分から20分かかるけど、埼玉に住んでいた時も、渋滞がひどくて近くのスーパーになかなか辿り着かない。都会は都会で大変なところもあるなと思います。

——休日はどう過ごされていますか?

義敬さん:酪農に定休日はないですよ。土日祝日もない。農協のヘルパー※さんを頼むための抽選会が年に1回あって、その日までに1年間のプランを立てる必要があるけど、 決めてしまえば長期の休みも取りやすいし、早割でチケットも取れるので旅行も安く行けちゃうところはメリットだと思います。

※ヘルパー…酪農ヘルパー。酪農家が休日を確保できるように、代わりに牛の世話をする職種の名称。

ヘルパーさんの派遣希望日が他の人と重なったときは、農家同士で協議したり、最終的にはクジ引きで決めます。農協のヘルパーさんが取れなければ、フリーランスのヘルパーさんを雇ったりもしています。サラリーマンをしていた時とは違って、「休みはお金で買うもの」という考えになりました。

惠美さん:朝と夕方の搾乳までの間の空き時間は、家事をしたり、休憩したり、お昼寝したり、帳簿をつけたり、近隣の町まで家族でお出かけをしたりして過ごしています。

義敬さん:今よりもっと牧場を良くしたいから、どうするべきかシミュレーションをしていますね。経営面もそうですが、生活面についてももっと良くしたいです。

最終的には60歳で経営を譲渡したいので、それに向けてどうすればいいか、もっと休みを取るためにどうすべきかなどと考えたりしています。

こちらに来てから始めた木工が趣味になり、ガレージに作業場を作ってDIYを楽しんでいます。廃材置き場から使える廃材を持ってきたり、仲良くなった建築会社さんから資材を購入して、子牛用のケージを作ったり、インターネットで購入した牛舎用の監視カメラを取り付けたりしています。

これらを畜産専用品として購入すると2〜3倍、場合によっては数10倍の価格になってしまうので、代用品をインターネットで探して、自分でできそうなことはYouTubeなどで勉強してなんでも自分でやっています。他にも、去年は家を新築するにあたって、パソコンで家の図面を描いたりしていました。

義敬さんの作業場兼ガレージ

——子育て環境はどうですか?

義敬さん:酪農業は子供と一緒に過ごす時間はとても多く取れます。前の職場では、 朝7時頃に家を出て、帰ってくるのは早くて夜の10時過ぎ。休日も障害対応の待機などがあるので、実質的に会社に拘束されているんです。先輩や上位会社の社員はもっと大変で、24時間いつでも出勤できるよう緊急電話を持って生活している。

そんな生活に憧れを持てなかったので、酪農業は良い環境だと思っています。ただ、保育園の送迎は、牛舎仕事と時間が被る中で自分たちでやらないといけないのと、隣近所が遠いので、子供が友達の家に遊びに行くというのはちょっと大変ですけど。

惠美さん:埼玉では子どもを産んで育てることは難しいかなと思っていました。都会での子育ての大変さは想像できたので、仕事を続けながら子どもを生んで育てることには踏み切れませんでした。結婚して5年後、別海町に戻ってきて環境が落ち着いついたこともあり出産に踏み切ることができました。

——酪農に憧れている、始めたい人に対して伝えたいことは?

義敬さん:やりたいと思ったらどんなことにも挑戦できるのが酪農のいいところだと思います。酪農について何も知らないところから始めるにしても、農協に行けばいろいろと教えてくれるし、近所の農家さんは聞いたことの10倍くらい教えてくれますので心配いりません(笑)。

前職では知らないことは許されなかったので、人に聞く行為自体が忌み嫌われる風潮がありました。誤って2回同じ事を聞こうものなら、何度も同じことを聞くやつとして嫌悪され、いわゆる「ggrks」※がリアルに存在した。でもここではそんなことはなく、日々の仕事をしっかりしていれば、手厚くサポートしてくれますよ。

※ggrks…ネット用語。インターネット上の掲示板など文字情報のみでコミュニケー ションをとる場で使われる。インターネットで調べられることは、人に聞く前に自分で調べろの意味。

惠美さん:ここは「トライ&エラー」ができる場所だねってよく夫婦で話しています。失敗できるって他ではなかなかないことですよね。企業では絶対ありえないことだと思う。でも失敗しないと成功しないんですよね。

義敬さん:ITの現場でも失敗しないと成功しないよって言うけど、プロジェクトのほかのメンバーに迷惑がかかるので、現実的に失敗は許されなかったんです。その点酪農は自営業だから、失敗しても自分に降りかかってくるだけで、他人に迷惑はかかりにくいと思うんですよね。

放牧地のゲートを閉め忘れて牛が牛舎を散らかしても、ゲートを閉めなかった自分が悪いわけで、牛は人を困らせようと意地悪して散らかしたわけじゃない。本能に従って餌を探しているだけですから。自然現象なんだからこれに腹を立てるのは天気に腹を立てるのと一緒で(笑)、すぐに気持ちを切り替えることができます。

そして、じゃあ次は失敗しないようにこうしてみようかなって試行錯誤して、子どもの頃に戻ったみたいに色々とチャレンジできます。

最も大事なのは観察する力。牛や天気、牧草なんかを観察してなぜそうなったのか考える。それが酪農を続けていくうえで一番大事なものではないかと思います。僕なんかがあまり大きなことを言うと諸先輩方に怒られそうですが(笑)。

2020年8月9日 収録
インタビュー・テキスト:原田佳美
撮影:NAGI GRAPHICS
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