ほらり

高橋秀明:「何もない」が人生の豊かさになる

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高橋秀明:「何もない」が人生の豊かさになる

別海町地域おこし協力隊として、昨年10月から着任している高橋秀明さん。自らが立ち上げたサテライトオフィス『Ushi-ca』の運営をしながら、別海町の魅力と暮らしをSNSで日々発信しています。物の溢れる東京から別海に来て「何もないことが逆に人生の豊かさになる」と気づいたと言います。

がむしゃらに働いたサラリーマン時代

埼玉県志木市出身の高橋秀明です。別海町地域おこし協力隊として2019年10月から着任しています。男ばかり4人兄弟の次男として、埼玉県志木市で生まれました。高校は地元ではなく都会の学校に行きたくて、池袋にある高校に通いました。高校卒業後の進路は、家に負担をかけたくないのと、早く家を出て自立したかったので就職一本でした。

入社したのはエンターテイメント会社で、千葉県市川市の店舗に配属され、会社の寮に入り一人暮らしをしていました。とにかくがむしゃらに働きました。給料もよかったのですが新店舗の立ち上げの時は、3カ月間朝から晩まで働き詰めで本当に大変で2年ほどで退社しました。

退社後は少し体を休めようと思い地元に戻って1年弱フリーターで働いていました。その時のバイト先から社員にならないかと声をかけてもらい、社員として働きだしました。

この頃から人と関わる仕事が好きになってきたと思います。学生の頃には考えられない変化でした。この仕事では店長として店を切り盛りし、店舗の運営やアルバイト教育などに力を入れていましたが、もっと上を目ざしたいと不動産会社に転職しました。仕事内容は、賃貸管理、物件の紹介と案内、物件の清掃、大家さんへのアドバイスなど多岐にわたります。ここでの経験は営業としても、接客業としても多くの貴重な経験を積むことが出来ました。

自分の思うまま生きてみたい

このころ個人的に人生の転機となるようなことがあって、これからの事について考えるようになったんです。このままでいいのかと。これからは自分の好きな事がしたい! ゆくゆくは人と関わる仕事で起業もしてみたい! それなら東京よりも田舎の方がチャンスがあるんじゃないか! と考え、転職することを決めました。

どうせなら思い切り環境を変えたいと思い、都内以外の仕事にも目を向けていたそんな時「地域おこし協力隊」の事を知りました。それまでこのような制度があることも知りませんでしたが、人と関わりながら仕事をし、将来的には起業も可能であり、自分の希望通り環境を大きく変えることのできるこの仕事に応募することにしました。書類を送ってから、採用が決まるまで2か月ほどかかりましたが、他に内定が決まっていた会社もすべて断り、別海町に行くことに決めました。

いざ、別海町へ

別海町へ来るとき中標津空港に羽田便が飛んでいることを知らなくて、釧路空港行きのチケットを取ってしまって。本当はバスで別海町に向かう予定だったのですが、当時の課長が釧路空港まで迎えに来て下さったんです。別海町までの道すがら、釧路湿原や広い道、牧場を見た時、本当に北海道に来たんだと思いました。

別海町に着き昼ご飯もごちそうになり、晩には課長のご自宅で、課長のご家族とジンギスカンを食べました。その時なんてアットホームな町なんだろうと思いました。なかなか上司の家族団欒に他人の私が入り、食事をすることって東京ではないことだったので、ありがたいなと思いました。

道東は自然豊かだと話には聞いていましたが、市街地から少し離れると本当に自然がすぐそばにあって感動しました。その中でも特に私が気に入っている場所が、「別海十景」の一つ「茨散沼(バラサントウ)」です。入り口から林道が続き、開けたと思うと綺麗な湖があり、車の音もなく、ただただ自然の中にいる空間が気に入っています。

そしてもう一か所は仕事でも何度も通っている場所の「野付半島」です。両側を海に挟まれ、自然の動植物がゆっくりと生活している姿を見られるこの場所は貴重だと思うし、季節によっても色々な顔を見せてくれる野付半島はいつ訪れても飽きない場所で、別海町の中でも一番のお気に入りです。

野付半島(写真:本人提供)

役場の外へ〜「Ushi-ca」開設

現在の主な活動は、協力隊のサテライトオフィス「Ushi-ca」の運営と、SNS発信です。任期開始から2か月ほどは、役場内で業務をこなすことが多かったのですが、もっと町民の方と関わりたい、懐に入っていきたいと思い、協力隊のサテライトオフィスを開きたいと考えました。

最初提案した時は、ものすごく反対されました。「サテライトオフィスに行ってなにをするの?」などと言われましたが、自分の熱意を粘り強く伝え続けて説得した結果、オフィス開設の許可を得ることができました。

サテライトオフィスの名前は別海町と言えばの「牛」と、野付でよく見かける「エゾシカ」を合わせて「Ushi-ca(ウシカ)」にしました。場所は、市街地の「交流館ぷらと」内のキヨスク跡にあります。ぷらとはバスの停留所でもあるので、町外の方にも気軽に立ち寄ってもらえる場所になればと、毎週木曜日と金曜日に活動しています。まだ訪ねてきてくれる方は少ないですが、その出会いの一つ一つを大切にしたいと思っています。

SNSを利用した活動は協力隊の先輩たちがすでにされていたのですが、町の魅力をもっと手軽に伝えたいとInstagramも開設しました。間違った情報を流さないように細心の注意を払いつつ、楽しく自由に発信しています。あまり固くならないように、でも砕けすぎないことを心がけていますが、かなり砕けた文章になっていると思います(笑)。

役場内でも意外に見てくれている方が多くて、手作り料理を掲載した際は「おいしそうだったね」とか「本当に作っているの?」などの反響があってうれしいです。

厳しい冬を超えて、自分自身の心の変化

別海町に来てからの暮らしは、東京にいた時とは比べ物にならないくらいゆったりしていて、気持ちに余裕ができました。休日は、ゲームや読書、音楽・落語や講談を聴いたりとインドアの趣味の時間を十分にとることができるし、居酒屋に飲みに行ったりと充実しています。

この夏挑戦したいことは、ソロキャンプですね。別海町は町営のキャンプ場が2か所あるので、挑戦しやすいかと思っています。それから釣りやサップなど、元々の趣味も再開していきたいです。別海町は海も川もすぐそこにあるので、マリンスポーツなどのアウトドア好きにはたまらない町だと思います。

写真:本人提供

不便なことがあるとすれば、車がないとなにもできないことですね。ついこの間まで車がなくて、本当に不便でした。町内でも日常生活に必要な物はなんでも手に入りますが、やっぱり車があるとないとでは大違いです。冬の間の通勤も、徒歩10分の距離を歩くことが大変でした。一度、薄く積もった雪の下の氷に気づかず、思いっきり転んでしまって、しばらく痛みに耐える日々でしたね。それ以来、ちょこちょこと歩幅を小さく歩く術(通称「ペンギン歩き」)を身に付けました。

北海道の冬は、想像より寒いし長い。移住希望者の方にはぜひとも本格移住をする前に、1回は別海町の冬を体験してほしいです。私は、寒くなり始める10月からの着任でむしろ良かったと思っています。役場の人たちから「なまらしばれるぞ」と口々に言われました。いざ12月に雪が積もり始めるとあっという間に平均気温は氷点下になりました。毎日寒くてつらかったです。夜も長いし。その分お酒は長く飲めますけどね(笑)。

でも、寒い時期が長い分、暖かくなってきたときの嬉しさは東京の比ではないですね。長い冬を越えて咲く花を見つけては、命のたくましさや健気さを感じるし、きれいだと思います。その度に写真に撮っては協力隊のSNSに上げる。自分でも驚きの変化でしたが、以前なら道端に咲く花に心を動かされることなんてなかったんです。多分忙しすぎて心に余裕がなく、気づかなかったんでしょうね。

写真:本人提供

忙しい人にこそこの町にきてほしいと思います。気持ちや心に余裕ができ、自然の変化や自分自身の心の変化に気付くことができると思います。物質的の豊かさも大切だと思いますが、「何もない」を逆に豊かと思えることも人生の豊かさになる一つなのかもと気付きました。

今後は、更にUshi-caをバージョンアップしていくとともに、畑農作などもやっていきたいです。多くは作れないかもしれませが、少しでも野菜などを作り、Ushi-caで販売したり、無料で配ったりしてみたいです。自分もひとり親だったこともあるので、別海町こども食堂などもしてみたいです。これからの別海町を担っていく子どもたちが元気に生活できる手助けができたらうれしいなと。これからもいろいろな事にチャレジしていきたいです。

2020年5月収録
インタビュー・テキスト・撮影:原田佳美

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