ほらり

原田佳美:別海はちょうどいい田舎です

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約7分

ゴルフ場〜ワーキングホリデー〜ナレーター

元号が令和に改まった昨年10月1日に別海町地域おこし協力隊に任命された原田佳美(ハラダヨシミ)です。生まれたのは1982年、「昭和の女」ですね。

生まれも育ちも大阪府枚方市です。猫をかぶって普段は標準語を話していますが、枚方の人とお話するときには大阪弁が出てしまいますね。お恥ずかしながら、別海の協力隊になる前までは、枚方市が別海町と提携都市の関係だとは知りませんでした。というより、北海道に別海町って町があることを知ったのは、就活をしていて別海町の協力隊の選択肢が上がってきたときです。面接のときに、別海には枚方から多くの人が移住していると知って、驚きました。枚方には、北海道旭川出身の父と、兵庫出身の母が住んでいます。大阪に住んでいる長女、東京に住んでいる次女、そして今別海町にいる私の三人姉妹です。

大学を卒業して最初に就職したのはゴルフ場でした。大阪のカントリークラブの受付をやっていました。なかなか就職先が見つからず、大学を卒業して無職というわけにはいかなかったので、正直「とりあえず」という感じだったかもしれません。休みもなく、毎日毎日2年間悶々と過ごしていたところで、「このままではだめだ……」と思い立ち、ゴルフ場をやめ、「ワーキングホリデー」という制度を利用して、カナダのモントリオールに行きました。

カナダでの一年間は、本当にあっという間の楽しい時間でした。頼る人もいない、自分の責任で何もかも決めて、進める。カナダでの一年間は、自分を信じて、自分を見直すいい機会になりました。

カナダでの生活が終わりかけのころ、ナレーションという仕事がしたいという気持ちになりました。カナダでの英語での生活で、日本の暮らし、特に日本語の良さを知ることができて日本語で色々な事を伝えていきたいと思ったからです。運よく東京の有名な声優さんが所属する事務所の養成所に受かり、ナレーターへの道のスタートを切ることができました。

が……、養成所での訓練はどちらかというとナレーションの仕事への訓練ではなく、舞台女優を目指すような感じでした。 それでも1年間続け、2年目以降は養成所も変わってナレーターへの道を目指していました。周りは若い子ばかりで、自分の年齢に追われてしまっていた時期でもあるかもしれないです。30歳という年齢で「ナレーター」そして「東京での一人暮らし」に見切りをつけました。

それまで父と母に、自分のやりたいことを存分にやらせてもらったので、そこからは大阪に帰って、落ち着いて静かに暮らすことにしました。これも運よく、前の職場のゴルフ場から声がかかり、また同じゴルフ場で働くことになりました。「このままでいいのか?」ということがどこか心に引っかかりつつ、それからの5年弱を大阪で静かに過ごしました。また、休みもなく、毎日毎日、平々凡々な日々を送っていました。

そんなある日、「今変えないと永遠に変えられない、変えなければいけない」という気持ちが抑えられなくなり、どうなるかは分からなかったんですが、ゴルフ場をやめました。「3か月間休んで、それから次に何をするか決めよう!」みたいな感じです。休みが少なかったおかげで、貯金もできましたし、今度はヨーロッパへ一人小旅行です。2週間かけて、アムステルダム、パリ、ロンドンに行きました。一度行ってみたかったイギリスのノリッジにもよることができました。5年間、悶々とためていたうっぷんをここで一機に放出することができました。

写真:本人提供

2019年、転職先を探しているときに、別海町から「協力隊になってみませんか?」という誘いを受けました。新しい土地での新生活にちょっと心が揺れましたが、父が北海道出身で、家族5人での楽しい旅行が北海道の道東だったということもあって、意を決して応募してみました。8月の終わりの頃です。すぐに採用が決まり、別海での新たな生活がスタートしました。

生活に不便なことはないです(車さえあれば)

別海の第一印象は「思っていたより都会」です。私が今住んでいるところが市街地なのでそう思うのかもしれませんが、徒歩圏内に生活に必要なものがなんでもあるんです。スーパー、コンビニ、薬局、ホームセンター、郵便局、病院なんでもある。本当にコンパクトにまとまっていて地元より便利です。田舎過ぎず都会過ぎないちょうどいい感じ、ですかね。

引っ越して最初の3か月は車もネットもない生活で、やることがなくて暇だ〜! ってなっていました(笑)。前職はサービス業だったので連休がなく、こちらに来てから土日が休みになって、最初は何をしていいのかよくわからなかったんです。

時間を持て余していたとき、歩いてすぐのところに町立図書館があることを知りました。それからは月2回図書館に通って、本を借りる生活を今でも続けています。図書館はきれいで、落ち着いた雰囲気で好きです。蔵書も豊富です。活字から離れた生活でしたが、今では本を読まないとなんだか落ち着かないくらいにハマっています。

大阪にいたときは、運転は苦手で通勤に使うだけでした。でもせっかく道東に来たのだからとプライベートでも積極的に車でお出かけしています。休日に隣町に出かけたり、ちょっと遠くの観光地に行ったりと、運転に臆することがなくなり、今まで以上に町での生活が楽しくなりました。北海道は道も駐車場も広くてストレスなく運転することができます。駐車スペースが広いってなんて素敵なんだ! といつも思っています。ちなみに購入した車は、中古の四駆の軽自動車です。雪国なのでやっぱり四駆かなと。

こちらにきて驚いたことは、冬至の頃の日没の早さです。午後3時を過ぎるとあっという間に日が暮れることに衝撃を受けました。外が暗すぎてものすごく時間が経過している感覚なのに、まだ午後4時半だったときは心の底から驚きました。

別海暮らしのススメ

別海での生活は都会での生活に比べて、何かと自分の時間を確保しやすいので、その時間を趣味に充てると暮らしが豊かになると思います。無趣味のままではちょっともったいないかなーって。

馴染みのお店を持つのも良いと思います。町内には数十件の飲食店があります。一軒でも馴染みのお店があると、知り合いも増えてより楽しいですよね。私は『居酒屋 萩』によく行くのですが、いろんな日本酒が飲めて、家庭的な雰囲気で、とても良いお店だと思います。役場の方たちがいらっしゃることもあって、何度か杯を交わさせて頂きました。職場以外のそういう機会もありがたいですよね。

別海の暮らしのデメリットをあげるとすれば、お店の閉店時間がやたらと早いことです。スーパーも20時閉店が多くてゆっくりお買い物できないのがちょっと残念ですね。風向きによっては窓を開けていられないくらいの、酪農家さんの堆肥のにおいも最初は驚きました。慣れると「今日もかぐわしいなー」と思えるんですけどね(笑)。

移住を考えている方には様々な目的があるかと思いますが、移住してからすぐに高いハードルは飛べないと思うんです。気長にゆっくりと、移住生活を楽しんでもらえたら、と思います。

今後、地域おこし協力隊としては、ドローンの免許取得にも興味があるので、そのあたりの勉強もして、町の魅力アピールに役立たせていけるといいなと思います。一つでも実現できるよう、がんばりたいです。任期終了後には、自分がワインが好きで、ワインバーのようなお店があったらいいなと感じているので、2件目や3件目に行くような、隠れ家のようなバーでおいしいワインを提供できれば素敵だなと思っています。興味だけはいろんなことにあるので、いろいろ挑戦していければと考えていますね。

2020年2月収録
インタビュー:廣田洋一
撮影:NAGI GRAPHICS

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