ほらり

神部久美子:楽しんで楽しませて、人との出会いを別海で。

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約10分

北海道に遊びに来ませんか。

出身は大阪の枚方市です。縁あって別海町で酪農をやっていた旦那と出会い結婚することになり、約40年前に移住しました。それまでは大阪で普通にOLとして会社で働いていたんですが、当時「もう会社勤めもそこそこ長いし、そろそろ別の環境で生活を変えたいなぁ」とぼんやり考えてたんです。もともと旅行が好きで、当時にしては珍しい土日みの会社だったので金曜の夜から移動して山に行ったり海に行ったりしてて。いろんな場所に行っていろんな人と話をしてみたいという気持ちが強い方だったんですよね。そのときは「どうせなら思い切って海外、アメリカに行ってみたい!」と思って、いろいろと調べていました。

そんな私が別海町に行くことになったのは、本当にひょんなことがきっかけでした。

ある時体調を崩して会社から休暇を頂いたので、家で雑誌を広げて暇を潰していたんです。すると「ファームステイで北海道に遊びに来ませんか?」という文言が目に飛び込んできた。それで北海道には行ったことがなかったので興味を惹かれましたし、「ファームステイ」というのもなんか魅力的に思えて。

ただ「アメリカに行ってみたい」という気持ちもあったので、両方に問い合わせの手紙を出してみたんです。すると輸送の関係もあってアメリカからはなかなか返事が届かず、北海道の方が先に連絡をよこしてくれた。その時ちょうど4月末で、5月の祝日と組み合わせて休暇を取れば2週間も滞在ができるということで、北海道に行くことにしました。

そのことを母に話したら「なんでいきなり北海道?ファームステイって、若い女一人で農家の家に泊まるなんて心配だ。花嫁探しのための企画かもしれない」って物凄く心配されて。当然といえば当然なんですけどね(笑)。母も一緒に行くと言うので、手紙で北海道と連絡を取り合いながら行く準備を進めました。中標津空港で「神部」という家の人が迎えに来てくれて、そこの牧場でファームステイをするとのこと。楽しみにその日を待っていたら、母は仕事の関係で行けないことに。結果、一人ではじめての北海道、別海町へ行くことになりました。

え?これお見合いだったの?

4月末まだ寒さが残っていました。中標津空港に着くと、手紙のとおり神部が迎えに来てくれて、そのまま牧場へ。車に揺られ、初めての北海道の風景を眺めながらこれから荷物を置いて観光地や町の案内をしてくれるのかなぁ」なんて思っていたんですが…これが全く違ったものだったんです(笑)。

そのまま神部の家へ行き、観光に行くことはなく毎日家族と話をしたんです家は8人兄弟で、一人ひとりと順繰りに会って。

みんなとにかく「酪農はやりがいがある仕事なんですよ」、「酪農は儲かるんです」、「酪農は楽しい」って、ひたすら酪農の魅力をみんなが語ってきた。ようするに「うちの跡継ぎの嫁になってほしい」という話だったんです(笑)。母女の勘だったんですかね、まさか的中するとは思ってもみませんでした(笑)。

当然、いきなりで想定もしていなかった打診ですから戸惑いました親戚にも会いましたからね(笑)。

でもいろいろと話しをしていくうちに、初めてきた北海道で“嫁に来てくれ”と言われたり、休暇中にここに来るきっかけを見つけたことなどを考えると、「これは縁というやつじゃなかろうか」と思うようになるんですよ最終的には滞在期間中に結婚することを決めました。

ただ、決して家族の熱意に根負けしたということではなくて、ちゃんと決め手というか、自分の中で理由は当然ありました。

結婚を決めた旦那は、酪農の研修でアメリカに3年間実習に行ってたんです。あの時代にね。ずっと別海で暮らしていて外に出たことがないような人だったら自分とは合わないだろうなぁって思っていたけど、経験や広い視野を持っている人だったからこれからも話していて楽しいかなぁって。それで「合うかもわからないな」思って惹かれ、プロポーズを受けることにした

初めての北海道別海町で、初めて出会った家族の息子と出会って10日で結婚を決めたんですよ?いま思い返せばね、「馬鹿だったなぁ」って笑って思いますけど(笑)。結局のところ縁があったんですよ

ほんと人生ってなにがあるかわからないもんです(笑)

別れを惜しむ時間もなく別海へ。

結婚が決まってからはとにかく全てが大急ぎでした。なにせ5月に結婚を決めて、「体を慣らすためにも6月には別海に来てほしい」と言うんですから(笑)。母に話した時は驚いていたし、反対もしていましたが事情や理由を話し、なんとか納得してもらうことができました。

そしてその後は結婚式は打ち合わせをする余裕も、衣装合わせもなにもなくドレスも全部オーダー。引っ越しも、JRのコンテナひとつに入れられるだけ入れて別海へ。当時働いてた会社は突然退職の話をしたのにも関わらず、「とても良い話なんだし」と了承してくれました。

シャイな別海町。

そして気づけば、もう枚方よりずっと長く別海に住んでいます。

でも酪農家の嫁としての生活は決して楽ではなかったです慣れない気候と牧場仕事に加えて、娘三人の子育てと義母お世話もあったので、自由な時間が本当に無かったんです。ホームシックになることもありました。そういう時は本別海まで行って海を眺めながら「この太平洋は大阪までつながってる。」って自分を慰めたものでした。当初は家族以外に話せる相手がいませんから、寂しいと思うことは多々ありましたね。

でもここの地域の人たちは、道外から来た人に対して「どうやって声をかけたらいいかわからない」と思っているだけで、こちらからアクションを起こせば割とすぐに仲良くしてくれるんです。こういう狭い地域ですから、最初はいろいろと自分のことで噂話をされたりすることもありましたが、一回仲良くなってしまえばなにかあったら助けてくれるし、手を差し伸べてくれます。シャイな方が多いんですよ。しばらくして生活にも慣れてきたら、そういった寂しさや孤独感は徐々に薄れていきました。

枚方と別海を繋ぐ。

当時、私のように道外から農家に嫁いでくる女性はほとんどいませんでした。この地域でも「農家の嫁になります」と自分から手を挙げる人は少なかったです。

いまみたいに機械化がされていない時代でしたから、すべての作業が肉体労働でしたし女性には大変な仕事ですからね。でも花嫁不足になるということは後継者不足になるということ。酪農の町、別海町にとっては死活問題です。

あるとき別海町に来て4年が経った頃でした。久しぶりの帰省を控え、町長(当時)と話をしているとこんなお願いをされたんです。花嫁不足が深刻だから、それをなんとかお願いできないかな」と。枚方市の独身女性で、別海の農家に嫁いでくれる人を探してきてほしいとのことでした。とはいえ、枚方市の結婚相談所へ「相談者の女性を別海に紹介してくれ」とお願いするのも何かおかしいですし。

自分の滞在期間中に話ができて、なおかつ決定権を持つ人物といえば…枚方市長ですよね。そこで市長直談判しようとよくあのとき17万都市(当時)の長に直接会おうだなんて発想は生まれたなぁ…(笑)。

突然の訪問とアポイントにも関わらず、秘書の方が親切に対応してくださったおかげで市長に会うことができました。市長もとてもいい方で、事情を話すと「わかりました。そういうことであれば一度町にお伺いしましょう」と。名前も場所も知らない町のために市長自ら動いてくださったんですよ。普通だったら考えられないこと。とても嬉しかったです。

そしてその後別海町と枚方市の交流が始まって、カップル成立イベントの「菊と緑の会」が誕生し友好都市にもなりました。

「菊と緑の会」は枚方市の女性と別海の酪農家男性が集まり、酪農体験や町のイベントなどを通して交流を深める婚活イベントのようなものです。いままでにたくさんのカップルが生まれ、この別海町で暮らしています。

開催当初は枚方まで男性が出向いていたんですが、農家の人は普段スーツを着ませんからね。革靴やネクタイが慣れないという声もたくさん聞こえていたし、「女性も、嫁ぐであろう場所に行く方が良いだろう」ということで4回目くらいかな?から、別海開催になりました。

嬉しいことに「別れてしまった」という話もあまり聞いたことがないんですよね。

それもどうやら関西の女性と北海道の男性って相性が良いようなんです。関西の女性はお喋りが好きでしょう?それに対して北海道、北国の男性は比較的寡黙な方が多い。女性からしたら“話を聞いてくれる方”で、男性からしたら“話してくれる人”と、バランスが良いそうです(笑)。

会いたい人に「来てもらう」。

私達は、いまはもう酪農からは引退しました。

自分の時間が目一杯取れるようになってからは、海外旅行に出かけました。「いろんな場所でいろんな人と」というのをまたやりたくて、安いチケットを買ってアメリカへ。カリフォルニア州のサクラメントに行ったんですが、割と田舎なところで“オールドアメリカン”な人間の生き様が見れる場所で刺激をたくさんもらいました。でも刺激を求めて毎回旅行してたんじゃお金もかかるし、時間だってかかるし。「行ってまた帰ってくる」のが旅行なので、いつまでもはできないと思ってました。

逆に海外に行ったことで、自分が住んでいる場所の良さを改めて確認したからかもしれません。そこで「今いる場所で出来て自分も人も楽しめること」を考えて、いまは野付半島でネイチャーガイドをやっています。

人と話すことや楽しませることが好きな私にはもってこいの仕事です。こういう性格だから周りからも勧められましたしね(笑)。これが本当に楽しいんですよ。

あと来て楽しんでもらったお客さんに「また来たいです」って言っていただけることが嬉しいんです野付半島ではたくさんの種類の野鳥や動物、植物が見れるのでその説明は当然するんですけど、それだけじゃ来た人は楽しめないでしょう?

来てくれた人には、ぜひ思い出を作って帰ってほしい。以前修学旅行で、尾岱沼から半島の先端まで観光船で乗って高校生たちが来たんです。船着場の辺りはさすがに「なにかあるか」というほどではないので…(笑)、高校生が楽しんでくれそうなことをして出迎えたあとに生徒・先生全員で船をバックにDA PUMPのU.S.Aを踊りました(笑)。ここまで爆発的に流行るちょっと前だったので学生も知らなかったですが。ガイド業といっても、こういう形で「来てくれた人に楽しんで思い出を作ってもらう」のも良いと思うんですよ。「こんなことを野付でやった」っていうのが記憶に残れば私も嬉しいですから。

それにここでこういう仕事をしていると、それこそいろんな場所からいろんな人が来ます。これもまた楽しい。中にはリピーターになる方や、夏に来てガイドしたら「冬も気になって」と来てくれる人もいる。

もちろん中には難しい方もいますよ?でもそういう方にこそ笑顔になってもらわなくちゃ。腕の見せどころですよ。

怖がらなければ「できる」町。

この土地は、自分やろうと思えばやりたいことが実現できる場所だと思います。

昔、外国人のホームステイ受け入れをしていたんですが町では子供含めて外国人慣れしていない人がたくさんいたので、滞在中の彼らに協力してもらいながら英会話教室をやったこともありました。でも田舎だとなにか新しいことを始めたり人と違ったことをすると、目立つので色々言う人もでてきます。ここに来たばかりの頃も、出かける時によそ行きの服装をしたら「派手だ」とか「よそもの」などの陰口を叩かれることもあった。

でもそういう自分がやりたいこと、正しいと思うことは貫き通すんです。すると、いずれそれが私のキャラクターとして受け入れられるようにもなるし、周りも気にしなくなってくる。“郷に入っては郷に従え“という言葉があるように、周りに合わせることも大切だけど、合わせてるだけじゃ自分してしまうんだからでも心のはけ口や、気持ちを切り替える方法は絶対に必要。

ただ、我慢強さも大切。

ここで新しい生活を始める人がいれば、町とうまく付き合いながら自分を貫いて楽しく過ごせることを願っています。野付半島には私もいるので、ぜひ遊びに来てください。

2019年1月11日収録
インタビュー、撮影、テキスト:倉持龍太郎(過去の写真の提供は神部久美子)
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