ほらり

佐藤麻央:片隅に隠れていた好奇心が目覚めてくる。

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約9分

気になったら行動!福祉の勉強でフィリピンへ。

出身は東京の町田市で、27歳までず〜っと地元で生活していました。地元の町田がとにかく大好きなんです(笑)。ショッピングだってだいたいの物は買えるし、一時間圏内に新宿や横浜。もうすこし出れば江ノ島や箱根だって行ける。家族も大好きで、帰省したら友達よりも家族と過ごしたいくらい。両親も祖父母も町田出身で、住まいも町田です。

大学では児童福祉について学んでいました。高校の時に読んだ小説の登場人物がソーシャルワーカーで、憧れたのがきっかけです。

二年生のある時、「国際社会福祉」という講義を受けたんですけど、そのときにストリートチルドレンの映像を見て。「こんな生活をしてる子供達がいるの?」と、びっくりしたのを覚えてます。自分も実際にその現場を目で見てみたい、支援に関わってみたいと思って、講義のあとすぐに教授に「私もここに行きたいんですが」と声をかけて。すると教授の先輩が支援団体に所属していて、フィリピンで活動してるよと。すぐにアポをとって、次の月から私もフィリピンに1ヶ月同行させてもらいました。

現地では、様々な事情で働けない親の代わりに、まだ3歳〜10歳の子供が稼ぎ頭として家計を支えていて。幼稚園にも行ってない子がほとんどなので、なんというか、基本的なこともわかってないんです。たとえば、数の数え方だったり、列にはちゃんと並ぶとか。道徳的なことを勉強できなかったんです。

支援団体では、そういう子たちを対象に青空教室みたいなことをしました。公園なんかの少し広いところに子供達を集めて、「勉強するこんないいことがあるんだよ」ということを教えて。

なんだか思ったよりも本人たちは深刻じゃないのが印象的でした(笑)。環境としても「ここでの生活なんて絶対無理!」な感じでもなくて、人も優しいしご飯も美味しい。

支援として行った経験もとてもためになったし、なにより1ヶ月の滞在でフィリピンをすっごく好きになりました。

人を導くには、まず自分を形成することから。海外への留学。

帰国してからも、実習先や資格取得に向けて勉強を続けていました。でもある時、「もっと人生の経験値を積んでからじゃないと、困っている人を自分には導けないんじゃないか」と思って。もちろん勉強すれば行政的な支援とか、どういう制度があるかとかの案内やお話もできるようになる。でもそういう問題というか、困っている方々を支援するには心のケアというのがすごく大事になる。それを「人生経験も浅い私が、誰かをケアする・導くなんてやっていいのかな?そんな自分が子供に何かを教えるなんて、まだおこがましくてできないよ!」と思ったんです。

だからもっと、「<与えられるひと>になってからじゃないと!それからでも児童福祉に関わるのは遅くない!」と思って、まずは「いま自分がやりたいことをやろう!」という方向に転換しました(笑)。いまは、もっと広い世界を見ていろんなことを知って「与えられるひと」になって、それからまた福祉に戻って来ようって思っています。

大学を卒業して、しばらくは販売や事務の仕事をやって、28歳の時に海外に留学しました。前回フィリピンに行った時に現地の人と話せなかったのが悔しくって、「英語勉強したいなぁ」ってずっと思ってはいたんです。

フィリピン、カナダでの生活と英語習得術。

ということで、思い立ってからすぐにお金を貯めて1年後……まずフィリピンへ。

前回行ってからなんかすごい気に入ってしまって。ストリートチルドレンがいるとはいえ、生活が全くできないような環境というわけではなかったし。4ヶ月間、語学学校で勉強して、次はワーホリでカナダのトロントへ移動。

カナダで「よし!勉強もしたし実践だ!」って張り切ってたけど、いざカナダに着いたら全然話せるようになってなくて(笑)。かと言って日本語でも通じるジャパレス(ジャパニーズレストラン)じゃカナダまで来た意味がないので、カフェとかファストフード店とか、とにかく現地の人が普通に集まるところを選んで働きました。

でもなかなかシフトにも入れてもらえなくって、「どうしよ〜」ってなってたら、今度はトロントと反対にあるバンフって街の存在を知って。調べてみたらすごい自然に溢れたところで。せっかく海外に来たんだから、こんな都会じゃなくって、日本では味わえない海外の大自然を満喫するのもありかなって思って、思い切って移動することに。お金が無かったのでバスで3日かけて移動しました。距離感も知りたかったし、せっかくだから景色も楽しみたくって。長かったけど楽しかったですね。

バンフ、本当にいいところでした。ペイトーレイクっていう湖があるんですけど、そこがもうほんっとに綺麗で。道東で例えると、「屈斜路湖規模の神の子池」って感じです。ほんとに綺麗だった。そういう湖がいろんなところにあって。7ヶ月バンフで過ごした後、最後の4ヶ月はオタワで暮らしました。

この最後の4ヶ月で「わたし英語喋れるようになってる!」って実感がようやくありました(笑)。海外での生活を楽しんでいるうちに、気づいたら身に付いていたのかもしれないです。オタワではフランス系カナダ人の女性とルームシェアしてました。彼女の友達とも会ったりして、そこで日常的に英語を話す・聞く力が身に付いたのかなぁ。

「楽しんでたら身に付いた」って、なんだかすごく得した感じがします(笑)。

海外の人に「日本のいろいろ」を伝えたくて。

カナダにいるうちに、帰国してからは観光の仕事に携わりたいと思うようになっていました。せっかく英語が話せるようになったのに使わないのはもったいないし。あと、カナダ人が抱いてる日本のイメージが実際とちょっと違っていて。聞くと大体みんな「ニンジャ」とか「マンガ」とか「ユカタ」って言うんですよ。「違うよ、もっといっぱいいろいろあるよ」ってことを日本へ観光に来た海外の人たちに教えたいなっていうのもあって。

仕事に関しては「どこでも働ける!」と、カナダでの経験から思っていたので場所にはこだわってませんでした。だから中標津町の地域おこし協力隊も、あくまで最初は転職サイトでブックマークした全国の観光の仕事のひとつだったんです。

でも聞いたことのない町だったので、なんとなく気になったのかな。ネットでふと調べてみたんですよ。画像とかいろいろみてて思ったのは「カナダっぽい!」。

自然が溢れる景色もそうだし、酪農風景も。なんか近いものを感じて惹かれました。あと、私の年齢で未経験から観光の仕事に携われるというのも魅力的で。中標津で初めての観光業に携わって、その後キャリアを積んでいくのにすごく良いスタートを切れると思ったんです。

カナダ≒中標津!?

町に降り立って、最初に抱いた印象は「北海道っぽくない!」。年始に来たので雪がどっさり積もってるものだと思ってたんですけど想像よりは少なかったし、気温も想像よりは低くなくって。カナダを経験してたってのもありますけど(笑)。

まだ生活を始めて1年も経ってないけど、以前と変わったことはたくさんあります。まず、運転が好きになきになりました!関東だと渋滞するし疲れるし……だったんですけど、こっちは運転中に見える景色がとっても綺麗なので、楽しいです。少し町から外れれば空はもっと広いし、開陽台で見る星空もすごい。

自然に対して興味を持ったのも、中標津に来てからです。「タンポポって寒い日閉じるんだ!」とか、「この綺麗な花、雑草なの!?」って。知ると驚くことや面白いことがいっぱいあって自分の世界が広がったように思います。

中標津の空にも何度泣かされたか数えきれない。変な意味じゃなくって、純粋に美しい自然を見て涙がこぼれるって経験、いままでありませんでした。星空や夕焼けって、ファインダーを通さないでもこんなに綺麗なんだ!って。自然を撮りたいと思ったのもここへ来て初めて。前まではマクロ撮影が好きだったんですけど、壮大な自然を撮りたくなってあたらしいカメラも買ってみました。でも目に焼き付けたくてあんまり写真撮れてない……。

隠れていた興味の扉を開かせてくれた中標津町。

東京に住んでいた頃は、時代に取り残されないように様々な情報を色々なところからキャッチしておしゃれをすることだったり、エンタメ情報についていくためにアンテナを常に張っていました。いまは好きなブランドのお洋服やアクセサリー、全国的に有名な美容院もなければテレビも東京とやっているのが違う。

でも中標津に住んでみて、いい意味でそういう情報に無頓着でも生きていける事に気付かされました。だから今まで自分の中心から外れたところにあった、自然だったりの他の物事に目を向ける時間が増えたのかもしれません。

仕事面では、地域おこし協力隊としてなかしべつ観光協会でいろんな仕事に関わらせてもらっています。

大きなものだと、まずは道東の観光にかかわる女子がメンバーになっている“女子旅プロジェクト“。女子の為の、女子による楽しい知床ねむろを発信しよう!という指向で、プロジェクトに“○○管内“とか”○○市、○○町“という区切りなく、それぞれがそれぞれの目線での発見や感動を共有して、情報発信をしています。

釧路のピーチ就航もあって、いま道東に注目が集められているので、2回目・3回目の北海道リピーターの方にプレミアムな思い出や体験をしてもらうためのプランなどを皆で話し合いながら企画しているところです。

もうひとつは、なかしべつ観光協会のホームページをリニューアルするにあたっての取材。町の1番のPRになるホームページで飲食店、小売り、宿泊施設等の取材をして記事を少しずつ書いています。初めての分野なので「これでいいのか?」と手探りではあるんですけど、町の商業を支えている社長の皆さんの言葉は本当に胸に突き刺さって、中標津愛にあふれているなぁとすごく感じる。人生の先輩たちの話を聞けることも、私のこれからの人生のヒントになる気がしてとっても楽しいです。

あと、これは個人的な展望でもあるんですけど通訳案内士の資格取得を目指しています。せっかく英語を話せるようになったし、それを活かさない手はないじゃないですか。資格を取れば、留学当初に思い描いていた海外の旅行客を相手に英語でガイドするっていう仕事にも繋がる。そうすれば北根室ランチウェイを歩く海外からの旅行者のガイドもできるようなるし。

課外活動的なもので言えば、児童福祉に対する思いもずっとあるので町内の小学生を対象に「なかしべつ冒険クラブ」という団体で、子供たちに自然体験をしてもらったりするボランティアに参加しています。ここで生活をしていろんなことを見て知って、人と繋がって。これから起きるたくさんの楽しいことをたくさん吸収して、今度はそれを誰かに「与えられるひと」になりたいですね。

2018年9月13日収録
インタビュー、撮影、テキスト:倉持龍太郎(過去の写真の提供は佐藤麻央)
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