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有田茂生:まるで異国のような自然環境。

プロフィール 有田茂生 / 42歳 / 大阪出身 / 根室市在住 / 2005年転勤 2014年移住 / 根室市観光協会職員

道東へと引き合わせた自然保護。

まず野鳥や自然保護に興味を持ったのは、大学で生物学を学んでからでした。野鳥好きの父の友人が大学でアホウドリの研究をしていた先生で、大学進学を決めかねていた際に声をかけて頂いたのをきっかけに、推薦入試を受験したら受かってしまったんです。元々は文系人間だったのですが生物だけは好きだし、まぁ断るに断れなくて入学したのが本音なんですけどね(笑)。

でも一年生のころから研究室に出入りさせてもらい、研究の手伝いや、段々と授業を通して干潟や湿地に興味を持ったんです。

そして野鳥への興味は、大学の友人と千葉県習志野市にある谷津干潟で見たシギ・チドリ類がきっかけでした。どれがどの種類なのか判別が難しく、あまり人気のない鳥の仲間ですが、初めて識別できた時に「これは面白い!かわいい!!」って思って。

野鳥に詳しい彼から「せいぜい20グラム程度しかない鳥が何千キロも移動する」という話や、「経由地の日本の湿地や干潟が無くなっていくと、彼らの種や生態も壊れてしまう」という話を聞いたんです。それから野鳥の生態や自然保護にも興味を持つようになりました。

それからは谷津干潟自然観察センターで、そこにいた市の職員、「日本野鳥の会」のレンジャー、社会人のボランティア、ほかの大学の人たちなど様々な世代や分野の人たちと知り合うことができ勉強させてもらいました。

そこで知り合った方たちは、厚岸町にあるネイパル厚岸や羽幌町の海鳥センターにいたりと、道内でも繋がっています。

大学中退、レンジャー始動。

干潟や湿地にすっかりはまり抜け出せなくなっていました。さらに在学当時は有明海の諫早干潟や、愛知県の藤前干潟の埋め立て問題があった頃。授業にも出ず、日本野鳥の会をはじめ、地元の自然保護団体が多く参加している自然保護運動などに参加していました。

そこで、いま春国岱ネイチャーセンターのチーフレンジャーをしている方とも知り合いました。自然保護の活動についてなどを教わっていくうちに、興味がどんどん湧いてきて。大学では授業についていけず留年もしていたし、思い切って中退して日本野鳥の会に入って、レンジャーになることに。

最初は羽田空港近くの公園でレンジャーを3年。仕事の内容は、その土地の自然を守り、多くの人に自然の事を伝える。そして環境が荒れた場合は環境管理作業をと。「普及教育・調査保護・維持管理」がレンジャーの3本柱です。

日本野鳥の会のレンジャーは、全国に受託現場などがあるので転勤があるんですよね。私は根室市の「春国岱ネイチャーセンター」に2年、野鳥の会直営の根室市にある「野鳥保護区事業所」に1年、鶴居村にある「鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ」に6年と、道東に9年間赴任していました。

歴史ある自然と人間の関わり。

野鳥好きにとって北海道ってやっぱり憧れの地です。鳥好きは北・南・小笠原諸島の方面にだいたい分かれるんですよね。僕は北の鳥が好きで、学生の頃から何度も道東に野鳥を見に来ていました。道東の自然の色合いだとか、佇む野鳥の背景だったりとか。それに強い魅力を感じたんですよね。当時の春国岱の森も、薄暗く静かで畏敬の念の感じさせる雰囲気なんかは本当に大好きでした。なので、ほとんど観光地巡りとかはしませんでしたね(笑)。

でも、暮らすようになってからは漁師さんや酪農家さんから、自分の仕事の話や先人たち開拓や入植の歴史を聞くようになって。知っていくうちに、道東は野鳥や素晴らしい自然だけじゃないんだなと。自然もですが、そんな歴史や産業などの風土を人に伝えていくことをやりたいと思うようになったんです。

その気持ちは、道東で暮らした著述家「高田勝」と「周はじめ」という二人の本を読んで、より強くなりました。当時のサイロの感じや、牧草の刈り方の違い、馬車で牛乳を運んでいた様子などが描かれていて、その独特な生活感にもどんどん引き込まれていったんです。田んぼと山しか無い丹波地方で育ったのもあるかもしれません。田んぼや畑の無い、どこを見ても広大な川と海と湿地と原野と牧草地がある…僕にとってはまるで異国だったんです。

これだけの貴重な自然環境に加えて、魅力的な風景、そして独特の歴史を持った地域はそうそう無い。当然、いずれは道東で暮らしたいとも思うようになりました。

そんななか、東京に戻る時期が近付いてきた頃に、根室市で地域おこし協力隊の募集があって。レンジャーの仕事にもやりがいは感じていたのですが、事務所に籠っていることも多かったので、もっと自然や地域と関わりを持てる職場に行きたかったし、募集内容は「野鳥観光推進員」。

「これは行くしかない!」と。本当に運の良いタイミングだったと今でも思います。

「対話」したから生まれた関係。

根室に暮らし始めた当初は、夏は涼しいし、食べ物は美味しいし、過ごすには良いなぁと。ただ、本が大好きな僕にとって本屋が無かったのは痛かったです。まだネット通販が普及してない時代だったので、わざわざ本や雑誌を読むためだけに一時間半かけて釧路まで出かけていました(笑)。

でも、そんな当時だったからこそ良かったのかもしれないと思うことは、「人との対話」です。先人たちの風蓮湖に道路をつくらせないなどの自然保護運動などにより、野鳥の会と地域の漁協とはあまり関係がよくなかったんです。でも先輩たちを含め幾度も時間をかけ、顔を合わせて話を聞いたり、協議していくうちに、お互いの言い分を理解し合っていって。時には怒鳴られたりすることもありましたけどね(笑)。

そうやってみんなが交流を深めていったことで、「風蓮湖・春国岱」のラムサール条約への登録にも繋がっていったと思います。話して打ち解けていく中で、地元の話や昔の話をたくさん聞くこともできた。イベントで貝の掘り方のコツを教えてくれたり、氷下待網漁を見学させてくれたりと。野鳥や自然とそれが好きな人とそこで暮らす人たちのいい関係「ワイズユース」を共有できたことが大きかったと思います。根室市では、今では漁師の方たちが、野鳥が見られるクルーズ船を運航してくれるようになったのが、その成果の一つかもしれないですね。来た当時は想像したこともなかったですけどね(笑)。

今はわざわざ人に会わなくても、大概のことはネットで調べれば知れる。でも、人と会うことが欠かせなかった当時だからこそ今でも付き合いのある知り合いができたし、根室の魅力をより深く知ることができたんですよね。あの頃に移住したからこそ、良かったことだと思います。

情報社会だからこそ、情報が必要。

地域おこし協力隊としての活動は、国内外のバードウォッチャーや自然愛好家に来てもらうための情報収集や発信、イベントの企画などでした。外国人観光客が楽しめるように、彼らが見たい鳥の傾向を調べて、どこで観察することができるかのリスト作成なんかも仲間としましたね。

一般向けのイベントとして開催されている「ねむろバードランドフェスティバル」にも事務局として関わりました。フェスの性格を変える方針を提案させてもらったりもしました。地域の人が野鳥観光への理解や外部へのPRが進んできたこともあったので、本来の目的である「野鳥観光の事業化」へ目的を変え、本州から冬の根室に来たことのない人の為にも、見たい鳥を見られるガイド付きのツアーを10本くらいコンテンツとして組んだんです。また、事業としても成り立つようにある程度参加費も取るようにしていき、地域のバス会社にも協力いただけるようになりました。

そのほか、日々の情報発信も大変でしたね。毎日フィールドに出て、ブログやfacebookで野鳥の観察状況を発信していたんですが、もちろん目当ての野鳥が現れないことだってある。でも、なんとかみんなが見たがっている種類なんかを見つける努力や、見応えのある内容にしないと、バードウォッチャーの旅行の目的地から外されてしまいますから。

でも、その日々の情報収集で面白い結果を生んだこともありました。ロシアで繁殖して日本などで越冬する「シジュウカラガン」と言う野鳥がいるんですよ。
観察をしていると、そのシジュウカラガンが、群れで飛んでいるところをたまたま撮影したんです。

戻って「根室を通って東北へ南下しているみたいです」とブログで情報発信していたら、突然研究者の人から「その情報ください!」って連絡がきて。なんでも、日本のどこのルートを通っているかは詳しくわかっていなかったらしいんです。たまたま新しい情報を入手し、協力できたんですよ(笑)。

根室=独自のストーリーを持った地域。

例えば、初めて春国岱を訪れた時の雰囲気のある森は、ここ十数年の度重なる爆弾低気圧で随分と変わってしまいました。行くたびに涙がこみ上げてくるほどの気持ちですが、でもそれを嘆くのではなく、「今」の姿を記録し伝え変化を追っていくことをやっていきたいですね。

今も観光協会職員として、引き続き野鳥や自然の情報収集や発信しているんですが、野鳥や花だけをアップで写すのではなくて、背景もしっかり納めるようにしています。それは、いつ無くなるとも変わるともわからない風景をしっかりと記録として残しておくため。

歴史のほん一瞬の1ページは誰かが残していかないと無かったものになってしまいます。だからこそ、根室の子供たちに、自分の住んでいる地域には外の人が評価するものがたくさんあることを伝えたいんです。自然を大事にしなさいとか、そういう月並みなことを言うつもりはありません。根室には、他の地域の人が羨むような環境が、野鳥が存在してるんだよってことを、まだ彼らが若いうちに頭の片隅に入れておきたいんです。根室の自然の変化を見ていくことになるのは、今根室にいる子供や若い世代ですから。

また、一つのスポットを観光資源としてPRしていく中で、表面的な情報だけじゃなく、その歴史や背景、人との関わりを盛り込んだ内容にしていくと、その情報は後々にも残っていくし面白いもの、「ストーリー」になるんじゃないかなと思っています。

観光客が増えることで、それぞれの興味や分野の多様性が生じてきます。それに対応していくと、さらに「このエリアならでは」のストーリーが次々と生まれてくると思うんです。

感動する絶景はたくさんあるけれど、根釧地域ならではの大自然と人々の歴史と暮らしが隣り合わせに織りなし紡ぎだされたものにも焦点を当てていく事で深みを増し、より何度も来たくなる場所にできるのではと。

今後も地域の方々と話をして、お世話になり、ともに観光素材をさらに深く掘り起し、磨き、地域の風土をしっかり記録し伝えていくことをライフワークとしていこうと決意をし、少しでもヨソ者くずれとしての恩返しをしていきたいと思っています。


2017年9月8日収録
インタビュー、テキスト:倉持龍太郎
撮影:倉持龍太郎(提供写真は有田茂生)

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