ほらり

濵屋雄太:根室で現代の屯田兵になる。

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約9分

秋田に進学、海外留学。

生まれは根室市で、大学からは秋田県の国際教養大学に進学しました。元々はアメリカの大学の分校だったらしく、雰囲気はさながら海外の大学でしたね。クラスも英語で受けるのがほとんどでした。学部は「グローバルスタディーズ」と「グローバルビジネス」の2つで、私は後者を専攻。経営・経済学やリーダーシップ、マネジメントについて学びました。

留学が必須で、2年次の夏から約1年、アメリカ・ワシントン東部のスポケーンという町にあるゴンザガ大学に留学しました。周りは比較的ヨーロッパ方面が多かったんですが、英語を学ぶならアメリカ英語が良いと思ったんです。あとはジャズギターのレッスンを受けたかったんですよね。結局、向こうでの生活が楽しくて練習をしなかったのでモノにはなりませんでしたけどね(笑)。

アメリカ留学で感じたのは「自分って子供だったんだなぁ」ということ。アメリカの生徒達は自分の将来や未来について、きちんと自分の口で語れるんですよ。親にも子供の頃から「息子」とか「娘」って枠じゃなく、「ひとりの人間」として育てられているんだと思います。そういう自覚を持ちながら成長してきているのか、精神的に自立した人が多かったです。

当時の私には、自分の将来像とか理想像とか、彼らのように熱く語れるものが無かった。「うん、うん」と話を聞くことしかできないのが嫌だったし、悔しかったのを覚えています。

「自分」というものに対する意識や、負けず嫌いな性格はアメリカでの経験が作用していると思います。

自分がやるから意味がある仕事。

帰国後の就職活動では、業種問わず営業職を志望。

自分にできることは営業だと思ったし、日本のモノを海外に売る仕事がしたかったんです。
面接を受けるまでいったのは4社。文系にしては少ないですよね。というのも、履歴書を手で書くのが面倒で(笑)。今でこそ、手書きが重要だということは理解できるんですが、当時は「パソコンがあるんだから打ち込んで印刷でいいじゃないか!」って思ってたんですよ(笑)。

卒業後は神戸製鋼所に入社して、営業マンとして東京へ。

プラント機の営業だったんですが、正直最初は自分がなにをやっているのか全然わからなかったです。ただ営業を通して、国境を超えて海外へ物を売るのは物凄く大変なんだということはビシビシ感じましたね。

でも…だんだんと仕事における自分の「必要性」が何なのかわからなくなってきて。例えば通訳として打ち合わせに参加しても、自社の技術者が英語に堪能であれば、特段私は必要ないじゃないですか? 接待でも自分がやること、できることはお客さんが気持ちよく過ごせる時間・空気を作ることでしかなくて。誤解を恐れずに言えば、お酒を注いで話を聞いてるだけでいいわけです。それで給料を頂けるのにも違和感はありましたし。

ようするにつまらなくなってしまったんです。楽しくなかったんですよね。

理想を実現するために独立、起業準備。

2年目を迎える直前に会社を辞めて、退職後は独立して翻訳家として働きました。ウェブデザイナーとしての仕事もその時に始めたんです。これまでデザインにもウェブ関係にも触れてこなかったんですが、「自分で作ったものを自信を持って売る、それが収入になる」ってことが面白いと思ったんですよ。それでモノづくりに興味が湧いて。

最初の頃は貯金を食いつぶしながらの生活でした。正直、開業すぐに食っていけると思ったんですけどね。ちょっと甘かったかな(笑)。収入はアルバイト程度で、貯金も無くなり始めてきて「さすがにこれじゃマズイ」と。まず、東京から家賃の安い神奈川県のアパートに引っ越して生活レベルを落とし、塾講師のアルバイトをしました。

それからは翻訳の仕事と塾講師のバイトを掛け持ちしながら、空いた時間をウェブデザインの勉強に充てて。毎日ヒーヒー言いながら過ごしてましたね(笑)。当初はウェブデザインの仕事の受注は全くなかったので知り合いのウェブサイトを作ったり、フリーランスの方と共同で制作して実践経験を積みました。

Malkのウェブデザイン技術は、その時から独学で身に着けたものがすべてです。きっと、技術を身につけるならそういう会社に入る方が早いとは思いますが、それでは大儲けできないし、自分が目指す働き方じゃなかったんです。

KOKYOでKIGYO。

弊社副代表の菊地は、もともと高校の同級生なんです。私が退職・独立した年の暮れに、起業にあたってのパートナー探しを兼ねて企画した同窓会で再会しました。

距離が一気に縮まったのは、会が終わった後に2人で飲んだことがきっかけです。

実は同窓会を根室で企画したは良いものの、全然人が集まらなかったんです。それで困っていた時に、いろんな同級生に声かけをして助けてくれたのが菊地だったんですよ。二人で「今日はありがとう」と話しながら菊地の近況報告や私の退職、独立、起業を考えていることなどを語り合いました。

—–〈菊地さん〉正直、濱屋とは学生時代に仲良く話すほどの仲ではなかったし、その時も話せるかなぁって不安だったんです(笑)。私は当時福祉施設で働いていて、そのまま勤め続ければそれなりの役職にもつけたかもしれないし、ボーナスもあるし収入面での不安は無かったので。でも、「このままで年を重ねていって良いのかな、自分でなにかできないかな」という気持ちはあって。例えば自分の店を開くとか。その話を、一番真剣に聞いてアドバイスをくれたのが濵屋だったんです。その時に起業の話やパートナーを探しているってことを聞いて「彼だったら信頼できるかも、やれるかも」って思ったんです。—–

こう言ってますけど、最初は「ネズミ講か!?」ってすっごく疑ってたんですよ(笑)。実際、福祉の仕事でウェブやネットワークに触れることってほとんどないと思うし、いきなり言われて戸惑ったのも無理もないと思いますが。

ともあれ、2人で起業するぞ! と話がまとまってから一番大変だったのは、菊地の両親の説得でしたね。彼自身が私を信じ切ることも重要なんですが、ご両親にきちんとわかってもらわなくちゃならないですから。家まで直接会いに行って、「菊地君と起業させてください」とお願いと説明にあがりました。最終的には濵屋・菊地の両家がお互いに顔を合わせて「息子をよろしくお願い致します」と挨拶を交わすまでに発展して。なんだか結婚前の両家顔合わせみたいでした(笑)。

それからは、私は東京で引き続きウェブデザインの勉強をしながら仕事をこなしつつ起業の準備。菊地は札幌で働きながら起業にあたっての身辺整理等。距離が離れているので打ち合わせは電話でしたが、密に連絡を取り合いました。2度ほど札幌のファストフード店で会議をしたこともありましたね。「道東でウェブデザインなら、私が一番いいものが作れる!」と自信が付いたのは独立してから1年半が経った頃。

根室で起業したのは、地元ながら特産品や景観含めて「もったいないな」と思うポイントが昔からたくさん見えていたことと、道東には競合が少なかったからです。仮にウェブデザイン会社を東京で起業しても、その道のプロには独学の技術は勝てっこないですからね。

そして昨年の3月、帰郷と共に晴れて「合同会社Malk」が誕生。

営業担当が菊地、私がデザイナーです。

Malk、始動。

会社として初めての仕事は根室市観光協会から受注した「根室・野鳥イラストコンテスト」のポスターデザイン。小中学生がハガキに書いたイラストを壁に並べていくというイベントで、その作品募集ポスターでした。

受注のきっかけは市内の英語のサークルに参加したことです。参加目的は当然、遊びじゃなく営業。「うちの会社でウェブデザインをやってるんですが、英語のサイト作りませんか?」と、サークル内でアピールし続けた結果、それが観光協会の耳に届いて受注につながったんです。これが良い評判を受けて、3年計画の観光協会の英語版ウェブサイト制作受注にもつながりました。

それがあってか営業を繰り返していく中で気付くこともでてきてました。

根室ではまだICTが根付いていないので、「ウェブデザイン会社です」とだけではわからない方も多かったんですよね。仮に「ホームページを作るんです」と説明しても、黎明期のものをイメージする方も多くて、イメージの食い違いも感じてました。

そこで「インターネットを活用して、我々がデザインしたホームページからあなた方の食品を代理販売しますよ」という説明に変えたわけです。そうすると「デザインも良い、うちの食品も売ってくれるなら良いかも」と思ってもらえるようになってきたと感じています。食品の代理販売は、私たちが制作した「キタペコ」というウェブサイトでやらせてもらっています。

根室振興局の方々と関わったのも大きいですね。根室のお寺が中心となって仏教徒かどうか問わずにまちづくりを推進している「日の出カフェ」というプロジェクトがあるんですが、それを通して当時の振興局地域政策課課長と知り合ったんです。ほらりさんとも繋がることができましたから。

根室発、根室初のかっこいい会社を目指す。

将来的には自分たちの手で海外に販路を作りたいと考えています。市を通してベトナムに販路を持っているんですが、もっと拡大していきたいですね。

売り上げがどうとかではなく、自分たちで開拓し、今まで無かったものを作り上げるんです。その、新しいことへの開拓の主役をMalkとしてやりたいですね。私たちだからこそ、根室のMalkだからこそできることを模索して、かっこいいと思えるようなことを実現したい。さらに我々が成功事例になって、続く事業者さんが出てきたらもっと楽しいですよね。

変な話、海外で開拓できれば場所はどこでもいいんです。たとえば、販路拡大してネパール人が根室の新鮮なタコを食べてるとか想像したらもうワクワクします(笑)。

地元に戻るきっかけ、理由になりたい。

こんな風に自分の野望ががっつり込められているMalkですが、根室を出た若者が地元に戻るきっかけにもなりたいと考えています。若者が楽しく、面白いことをできる会社にしていきたい。

そう思ってもらうためにも、私たちが根室で起業する若者のパイオニアになることが重要だと思っています。そして「大きな会社に所属して生きるのも良いけれど、仕組みがもうできあがってる組織で、なんとなく面白いと思えないのなら根室に来てほしい。ここではレールを自分で敷くことができるし、仕組みを自分で作ることができる」、こんな風に言えるようになりたいと考えています。

いま根室で若者が動くということは開拓者になれるということです。現代の屯田兵として、かっこいい会社を目指します。

2017年4月収録
インタビュー:廣田洋一
テキスト、撮影:倉持龍太郎
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