ほらり

島崎みゆき:ネガティブな私もポジティブになれる環境。

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約8分

叶えた夢は札幌に消える。

島崎みゆきです。1978年の3月21日生まれの39歳です。

前からほらりのインタビューは読ませていただいてたけど、みんなすごいなぁって思います。私なんかその、取柄とか芯とかが無いまんまここまできてるから出ていいのかな(笑)。

生まれ育ったのは釧路です。高校卒業後に札幌に移って、日本ビジネススクールという専門学校に通ってました。エステティックビジネス科というところで、フェイシャル、ボディ、アロマなどエステに関することを総合的に勉強しました。

昔からエステティシャンになりたかったんです。前に、久しぶりに会った同級生に「中学校の頃からエステティシャンになりたいって言ってたよね」と聞いたので、中学校からの夢だったみたいです。自分では覚えてないんですけど(笑)。

1年制の学校だったんですけど、寮生活をしていたので学生でいた間はそんなに遊べなかったです。うちの両親が結構厳しかったので「寮を探して入る」ことが札幌へ行く条件で。その入った寮も規則が厳しくて、一人で夜まで遊んでられるとかもできなかったから、専門時代は比較的真面目に過ごしていました。

だから学校を卒業してから弾けましたよね(笑)。高校時代とかも遅くまで遊んだりできなかったし、厳しい寮生活だった反動で。「自由」っていうのを初めて体験して「こんなに楽しいんだ!!」と思いましたもん。

寮を出た後はアパートを借りて、アルバイトで生計を立てて。昼はエステでパートさんみたいなことやって夜はコンビニで働いて、って。就職はしなかったです。時間に縛られてしまうと思って。

エステティシャンになりたくて札幌に来て学校も出たけど、遊んでいる方が楽しくなってしまったんですよ(笑)。

ハワイ大好き!エステは……?

働きだしてから、ハワイが大好きになって30歳くらいまで毎年ハワイに行ってました。なんか毎年一回は行くことが自分の中での儀式みたいにになってて。その頃はもう、エステとかやりたいわけじゃなくてハワイに行く費用の為の仕事になっていました(笑)。そうやってだんだん気持ちもエステからかけ離れていって、お金を稼ぐためにアルバイトして、辞めてハワイ行って、またどこかで働いてっていうのを26歳くらいまで繰り返していました。

今でこそハワイ、ハワイ言ってますけど、最初は「皆行くところだしなんかイヤだな」って思ってました。なので初めての海外旅行はオーストラリア。2回目の旅行で、友達が「どうしても今回はハワイに行きたい」と言うから行ってみたんです。そしたら私の方がハマりだしちゃって。「これは来ないとダメなところだった!」と(笑)。

日本人がたくさんいるから英語わからなくてもなんとかなるし、「のんびり気楽で安心できるなぁ」と。本当にグータラなんです。

そんな感じだったんで恋人もいなかったんですけど、現地で花嫁さんとか見てたら「私も絶対ハワイで結婚式を挙げよう」って、相手もいないのに(笑)。日本で披露宴をしなくていいから挙式はハワイ、これだけは自分の中で先に決まっていました。でもこういう性格だし、自由にしているのが好きだから結婚願望も無かったし、周りが結婚しても特に焦るようなこともなく。後半は一人で行ってました(笑)。その度に「ここで結婚式やりたいなぁ」って(笑)。

そろそろ結婚?タイミングは突然に。

27歳で釧路に戻って、介護の仕事をしました。

札幌から戻る前に勉強して資格を取ったんですよ。ずっとアルバイトでフラフラしてたのを考えると、何か思うところがあったから資格取得に動いたのかなと今となっては思います。

結婚願望無しだった私のターニングポイントは30歳でした。弟が結婚して子供が産まれたんです。基本的に子供が苦手なんですけどその子が本当に可愛くって。それがきっかけで「これはちゃんとしないとまずいんじゃないか」と。子供が欲しいって思ったのかな。それでハワイから足を洗おうと決めたんですよね。貯金もちゃんと考えるようになりました(笑)。それまではハワイに行くために働いてお金貯めて、向こうで全部使って、「よし、また1年頑張ろう!」のサイクルでしたからそういう……将来の為にとかは考えていなかったので(笑)。

でも「結婚だ!」って思っても相手がいないとどうしようもないじゃないですか。相手を探しに釧路の婚活パーティーにしょっちゅう出かけていましたね。スイッチが完全に切り替わってます。

その頃にいまの旦那さんが現れたんです。正確には、私がまだ自由に過ごしてた頃に知人を通じて知り合ってたんですけど。

何回かご飯にも行って、お互いのことはわかるようになったんですけど、その時はなんにもなくフェードアウトして(笑)。でも婚活中のある時、フッと連絡が来てまた会うようになったんです。もう31、32歳になってたし、結婚の意識しか無くなっていたから「私も時間ないし、すぐ結婚したいの。そういう人としか付き合わないから。どうする?」って聞いたんです。そしたら「結婚する」って言ってくれて(笑)。旦那さんは2歳年下なんですけど、向こうもその時30歳とかだったから「そろそろかなぁ」って思ってたのかもしれないです。お互いタイミングが合ったのかな。

そこから結婚までは本当に早かったです。付き合いが始まった1月にはもう結婚の話が進んで、4月には親同士の顔合わせがあって。5月に入籍しました。スタートが恋愛じゃなくて結婚からだったので上手くいかせてもえたのかなぁと思います。前から知っててお互いのことを大体わかってたというのもあるかな。決め手だったのは、なんでしょうね。向こうも忙しいし、自由させてくれるからかな?旦那さん、コントラの会社を経営しているんです。

展開があまりにも早かったから段取りも大変といえば大変でしたけど、付き合って割とすぐに式に向かって準備を始めていたし、それ自体楽しかったのでパタパタっと決まりました。付き合って1年の2014年1月に夢だったハワイでの結婚式を挙げました。

自然に囲まれた生活、虫以外は大丈夫。

嫁いだのは別海町の泉川地区。結婚前に引っ越しとか挨拶で何度か来てはいたんですけどね、最初は「あぁ……」って感じでした(笑)。別海町の中でも特に辺鄙なところにあるので、自然が好きな方はすごい喜ばれると思うんですけど、私は虫が嫌いなので(笑)。

でも自分で決めてきたことですから、やるしかないと。それに仮にね、本当にものすごく不便なところだったとしても「ま、いっかー」くらいにしか思わなかったと思います。むしろもっと何にもないところだと想像してたので、「これなら全然頑張れるな」って思いました(笑)。

でも、最初は正直田舎暮らしになかなか馴染めなかった。身内の方々がたくさん近くにいる環境が初めてだったので、気を使って「良い子にしなきゃ」というか、自分を演じてましたからね。最初のうちは、演じている自分自体にそのうち慣れてくるんだろうと思ってたんですけど……慣れなかったんです。

そしたら去年溜まったものが大爆発。4年分どっかーんといって、結婚して初めて旦那さんと大喧嘩しました。

でもそれがきっかけで山を越えたというか、ちょっと自分を解放できたので過ごしやすくなりました。「自分は自分だ」って思えるようになったんじゃないかなぁ。

地元を出たことで広がった視野。

生活で困ってることは……特に無いんですよね。釧路にいた頃は中標津に遊びに行こうとも思わなかったけど、行ってみたら面白いお店もいっぱいあるし。

泉川は釧路と中標津の間みたいなところにあるから、出かけるのにちょうど良い位置なんですよね。車の運転も嫌いじゃないし、一人で出かけてお店を開拓するのもすごい楽しいですよ。この辺りに住んでいても楽しいことは見つけられます。私は良いお店を見つけても誰に報告するとかは無いけど、一人でニヤニヤ(笑)。

札幌に出るときまで免許を持ってなかったけど、釧路に戻るにあたって取得しておいて良かったです。

釧路は、住んでいた頃ってあんまり知らなかったけど出てからの方が好きになりました。離れてみると新しい発見もあるし、行ったことない場所に行ってみようと思うようになったり。

Facebookを始めたのも大きいですね。お店の情報が気軽に手に入るし、人との繋がりも以前よりずっと広がったと思うし。それで火が点いたんだと思います。

旦那さんの実家が農場なので、最初の頃は子牛に哺乳したりして手伝っていました。

ゆくゆく義父の会社を旦那さんが継いだら、私も経理事務をやる予定なので現場もわかっといた方が良いと言われて。ちょうど虫が多い時期だったので大変でしたけど(笑)。

ポジティブパワー満点の家族と新しい夢。

雑貨やカフェが好きで色んなものを見てきて、いつか自分のお店を持ちたいなぁっていうのが今の夢です。自分が好きなものだけを売って楽しめるような、こじんまりした感じのお店を。

旦那さんの家族がなんでも自分たちでやる人達で、見てると私でもできるかなぁって気持ちになって来るんですよね。

ここに来なかったら、ただグルグル色んな所に行くだけで楽しんでたかもしれません。今までだったらお金や先の事とかが先に頭に浮かんで、やりたいなって思ったことを実行しようって勇気が湧かなかったと思います。でも嫁いでから旦那さんにそういう話をなんとなくすると、「やりたいならやっちゃいなよ!」みたいな返しが来るので(笑)。ダメならダメでいいから、とりあえずやってみようよっていう。「そうだよね、やっちゃえばいいよね!」って思うようになりました。

この環境にいたらスーパーネガティブな私も積極的になれるんです。周りがスーパーポジティブな方ばかりなので(笑)。

2016年9月23日収録
インタビュー・撮影:廣田洋一(過去の写真の提供は島崎みゆき)
テキスト:倉持龍太郎
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