ほらり

小林晴香:私らしく。女性らしく。

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約10分

きょうだいの中でいちばん、「後継ぎ」に抵抗がなかった。

別海町の中西別という地区で酪農業を営んでいます、小林晴香です。昭和55年生まれのやぎ座です。2008年の秋に、酪農家の後継ぎとして実家に戻りました。会社名の「モシリ」は、アイヌ語で「大地・国・豊かな自然」などという意味です。牧場を法人化するときに、自分で考えました。

生まれも育ちもこの家です。幼稚園から小学校・中学校までこの中西別で、高校は別海の街中。その後、釧路市の短大の幼児教育科で、保育士と幼稚園の先生の免許を取りました。家庭教師の派遣会社で1年務めた後、縁あって札幌近郊の岩見沢市に行きました。そこでは介護施設で働きながら介護福祉士の資格も取ったんです。こう見えて、国家資格を3つ持っているんです。あ、あと車は大型特殊と牽引、バイクは中型免許もあります。

ひいおじいちゃんの代にこの土地に入植したので、今は父が3代目の経営者です。別海町は、北海道の中でも最後の方に入植した土地らしくて、当初は畑作を試みていたそうです。道内各地で畑作ができていたから、ここでもできるだろうっていうことで始めたのですが……。桜前線が最後に来る土地っていうだけあって、冷害に悩まされたんですね。もう何年もしないで、「ここで畑作は無理だ」っていうことになり、それでどんどん牛を導入していったらしいです。

きょうだいは妹と弟がいます。元々の予定では、弟が家を継ぐ予定でした。弟は「長男」という家族の期待もあり、酪農を学ぶために大学に進学もしたのですが、本当は家を継ぐよりも他にやりたいことがあったんです。しばらくは様子を見ていたんですけど、結局弟は、別の専門学校に入り直して就職しました。

そのときに、私が実家に帰ろうかなと思ったんです。これじゃあ、きょうだいみんなばらばらだし——私、おばあちゃん子だったんですが——おばあちゃんの介護もあるし。私がきょうだいの中でもいちばん、家を継ぐっていうことに抵抗がなかったというのもあります。

実家での仕事は、結構最初から楽しかったです。子どものころは、イヤイヤ手伝っていたって感じでしたけど(笑)。きょうだい3人とも「毎日必ず1回は牛舎に来い」って親に言われていたんです。「農家の子に生まれたからには……」みたいな感じで。でも、自分でいろんな仕事を経験してみると、「体を動かして動物と一緒に仕事をする」というのがいちばん自然なことだし、いちばん楽しいことだろうなって思うようになりました。

実家に戻った次の年の4月に別海高校の農業特別専攻科に入りました。専攻科では、高校・大学卒業後に実家で仕事をしている酪農家の後継者や、実習生として牧場で働いている人が通っているんです。私も、家が酪農家とはいえ、牛に関する基礎知識がなかったので、ちゃんと勉強しようと思いまして。そこでは2年間、牛のことから機械のこと、設備のことなどを勉強したり視察に行ったりします。大特と牽引の免許も、このときに取りました。朝、仕事をしてから学校に行き、帰ってきてまた仕事……という生活だから、学校では実習はありませんし、牛もいません。

ぎっくり腰で「この先どうしよう!?」→「あぁ、牛舎を建てよう!」

実は、去年の春にぎっくり腰になっちゃいまして……。それまでは、もし今の牛舎が壊れても、もうそのままでいいかなって思っていたんです。でも、「もしこのまま自分の体の方が先にダメになっちゃったら、農家をやめて就職活動するのかな……。いや〜もう、この先どうしよう!?」……って、いろいろ考えました。このときに「あぁ、牛舎を建てよう」と。今はつなぎ飼い(※1)ですが、フリーストール牛舎(※2)にして、搾乳ロボット(※3)を導入することを計画しだしたんです。

(※1)牛を1頭1頭、鎖やスタンチョン(係留器)でつないで飼うこと。個体ごとにエサなどの管理がきめ細やかにできる。

(※2)舎内に牛の寝床が設置してあり、牛は自由に動き回ることができる牛舎のこと。多い頭数を飼育する場合によく導入される。

(※3)搾乳を全自動で行う箱型の機械。牛たちは、乳が張ってきたら自らここに入り、搾られていく。

今現在(2016年5月)、すごく牛の値段が上がっているんです。今まででいちばん高いんじゃないかっていうくらい。でも、2020年に東京オリンピック開催が決まりましたが、「オリンピックの後は、景気が悪くなることが多い」っていう話をちらっと耳にしたとき、「これは大変だ!」と思いました。牛の値段だって、いつ下がるかわからないということですよね。ということは、そこまでに経営基盤をちゃんと作っておけば、景気が悪くなってもなんとかなるんじゃないかと思うんです。

牛って、搾乳できるようになるまで、育成して種をつけて出産して……って、最低でも3年はかかるんです。それで逆算していったら、牛を増やすには、ちょうど今がチャンスだと思ったんです。私の気持ちとしても、1年でも遅くなったらもう億単位の融資なんて受けられない気がして……。あと、去年あたりに町内で搾乳ロボットを導入した人たちが、「すごくいいぞ!」って言っていたんです。別海町周辺は、道東の中でもロボットの普及が遅い地域なんですが、あと2〜3年したらこっちに流れてくるだろうという予測がありまして。そのときに「私もやりたい」って手を上げたとしても、年齢的に考えて、周りと比較すると反対されるかなと思ったので、その前に1年でも早く行動することにしました。

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私らしく酪農をやるには、どうしたらいいのだろう。

ロボットなどで機械化をするのは、体力的な負担を減らしても、規模を大きくすることができるだろうっていう考えからです。あと、フリーストールの牛舎にするのは、牛が好きなときに食べて、好きなときに寝て、好きなときに乳を搾って、好きなときに外に散歩に行く……っていうスタイルにしたいからなんです。それがいちばん自然なことだし、そうすれば難しいことを考えなくても牛は自然に乳を出してくれるんじゃないかなって思うんです。牛を「飼っている」っていう考え方ではなく、牛の習性を利用して「搾らせてもらっている」っていう、それくらいの感覚でやりたいなって。経済動物なので、ペットとは違うということを割り切らなきゃいけないんですけど、できるだけ犬とか猫みたいに飼いたいなって思います。牛が、リラックスして寝ているのを見るのが、すっごく楽しいんですよ。

以前は、男の子と同じように仕事をしなきゃいけないっていう意識が自分の中にあったんです。周りの男性後継者に負けちゃいけないし、やってやれないことはないだろうって思っていました。だけど、去年ぎっくり腰になったのが本っ当〜にショックで。そこで、「やっぱり自分は男じゃないな」って、やっと気付いたんです(笑)。男の人と張り合うのは、体力的にはやっぱりちょっと無理がある。それなら、私らしく酪農をやるにはどうしたらいいのかなっていうのを考えていたときに、「農業女子プロジェクト(※)」というのをたまたま何かで見つけたんです。

(※)農業に携わる女性を様々な形で応援していこうという、農林水産省が設立したプロジェクト。

プロジェクトの登録者の中には、例えば自分で作った野菜を喫茶店に卸すとか、健康にいいものを出荷するっていう、女の子ならではの目線で農家をやっている人がいたんです。それを見て、「女の子が農家をやるっていうのは、こういう風にやればいいんだ」って思ったんです。「別に男性と張り合わなくてもいいんだ」って。

私も去年から「農業女子メンバー」として登録しました。3月に東京で「大農業女子会」が開かれて、全国から農業をやっている女の子が集まるのですが、私も今年初めて行きました。全部で7〜80人くらい来たのかな。農林水産省で幹部と意見交換をした後、首相公邸にも行きました。安倍昭恵首相夫人が農業女子を応援してくれているんです。首相公邸では、自分の農業の野望を語るっていうスピーチがあって、事前にアピールポイントを出しておいた中から、10人くらいが選ばれるのですが、それに私も選ばれまして。しっかり野望をスピーチしてきました。

女性後継者っていう選択肢を持つ人が、もっともっと増えてほしい!

でも、この「農業女子プロジェクト」に登録している人の中で、酪農家は私の他にはまだ少ないんです。畑作だと、女の子が新規就農(※)っていうのはよくあるんですけど、酪農は「酪農女子」自体が少ない。新規就農はもちろんですが、農家の娘だとしても、「結婚して夫が主体になって継ぐ」っていう人が多く、「女の子本人が経営する」っていうのはあまりないんです。私が実家に帰ってきて「継ぐ」って言ったときも、父は抵抗があったみたいです。父くらいの世代の意識は、どこもそうだと思いますが。

(※)農家を親から継ぐのではなく、新たに土地や設備を買い、農業を始めること。

もちろん、女の人の意識もあると思うんです。いや、家の中ではみんな強いんですよ。この辺りの人って「隠れ強力母ちゃん」が多いんです。アンケートをやっても、男女の意識の差がいちばん少ないのが北海道だって出るんだそうです。昔から、一緒になって農業をやってきたという、土地柄もあるのかもしれません。実際、家族経営や夫婦で経営している農家だったら、仕事の半分は女性がやっているわけですから。それなら、これからはもっと経営自体に参加する女性や、積極的に外の集まりに参加する女性が増えていくよう、男女共に意識が変わっていってほしいと思います。

今、どこも農家は「後継者不足」って言われていますよね。そして今はまだ、「農家の後継者になるのは息子」っていう意識があると思うんです。だけど、「後継者は娘」っていう選択肢を持つ人が、もっともっと増えてほしいなって思っているんです。農家に生まれた女の子にも、「自分の家を継ぐ」っていうのを仕事の選択肢として入れてほしいなって。そして、周りの人も、それを理解してほしいと思います。

確かに、女の子が牧場をやっていくっていうのは、生き物相手ですし、難しいことなんです。でも、機械化をしたり、いろいろよく考えればできることなんじゃないかなって私は思っていて。実際に、私がいつまでも若々しく(笑)、情熱を持って後継者として頑張っていくことで、「私が農家を継ぐ!」という女の子が増えてほしい……。それが、女性後継者という立場での、私の目標です。

70歳になっても、搾乳ロボット4機をフル稼働させていたい!

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あと、ファームステイをやってみたいと思っているんです。実習とかはしないで、好きなところを見て、好きに過ごしてもらうというような感じにしようかなって思っています。特に女子を呼んで、仕事を見てほしい。都会の、自分の同年代の女性が、私の仕事を見てどう思うのかなっていうのを知りたいんです。体験牧場や、小さい規模で2〜30頭を大事に飼っているような牧場とはまた違った、言ってみれば「工場」みたいな牧場をどう思うのかなって。

やっぱり農業女子を増やしたいんですよね。外部からも、斬新なアイディアを持った女の子を積極的に受け入れ、農業女子ならではの目線や方法で経営していく参考にしたい。そして、もしこの土地と仕事が気に入ってもらえたら、移住もしてもらいたいです。

私のおばあちゃんは、37歳のときに夫(私のおじいちゃん)を亡くしたんです。その後は、当時高校生だった息子(私の父)が一人前になるまでの間、1人で牧場を支えていたんです。なんか、そういうところに「農業女子」として自分につながるものがあるのかなって思っています。

目標は、搾乳ロボットを全部で4機導入すること。そして、自分が70歳になっても、その4機をフル稼働させていたいんです。今、すごく楽しいです。年末に、「いっぱい儲かった!」って実感したときなんて特に(笑)。やっぱり経営が見えて、頑張った分、結果が出るっていうのが楽しいですよね。自分でやりたいことをやりきっていきます!

2016年5月25日収録
インタビュー:廣田洋一
テキスト:佐藤陽子
撮影:倉持龍太郎
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