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小池瞳:中標津の魅力をもっと知ってもらいたい。

プロフィール 小池瞳 / 30歳 / 神奈川県出身 / 2015年移住 / 中標津町地域おこし協力隊

横浜で育った青春時代。

中標津町地域おこし協力隊の小池瞳です。昭和61年12月27日生まれ、横浜市鶴見区出身です。いわゆる浜っ子です。28歳で中標津に来るまでずっと横浜の鶴見区に住んでいました。小学校の頃はあまり目立つこともなく、口数も少ないおとなしい子供だったと思います。体育は嫌いで、好きな教科は国語と音楽。外遊びは好きだったので、休み時間は縄跳びしたり一輪車で遊んだりしてました。

中学からは中高一貫の女子校に進学。仏教系の学校だったんですけど、そのことを入学するまで知らなくて。クラスは「孝組」、お昼ご飯は五観の偈を唱和してから、冬は毎朝7時から学校のお寺で座禅をやってから教室に戻って授業。そのような学校生活にはすぐに慣れましたけど、さすがに最初は驚きました。

学校生活は本当に楽しくって、毎日友達とバカなことをしては笑って過ごしていました。でも、よく授業中にうるさいと先生に怒られました(笑)。でもみんな分別はきちんとあったので、文化祭や体育祭ではみんな団結して。いまでも帰省したら絶対に会いたいのはやっぱり学生の友達です。

野球が大好き!スポーツキャスターになりたい!

父親が野球中継を見てて自分が見たい番組が見れないことってあるじゃないですか。うちもまさにそれで。でも、全くスポーツには興味なかったんですけど野球だけは急に好きになったんです。

中学の時になんとなくテレビをつけたら9回裏で後攻の巨人が0対4で負けてたんですよね。リーグ優勝が懸かる試合で、ドームには異様な雰囲気が漂っていました。いつもだったら「へぇ~」ってすぐチャンネル変えてたのに、なんでかわからないけどその時は見入っちゃったんですよね。すると、ノーアウト満塁からのホームランで同点に。ルールとか全然わからなかったけど、会場の歓声を聞いてたら「なんかすごいことが起こってる!」って感じて。最後は二岡選手のサヨナラソロホームランで大逆転優勝! それを見た時の衝撃から野球が好きになりました。ちなみにずっと巨人ファン。北海道に来ても巨人愛は変わりません(笑)。

大学は目白大学のメディア表現学科に入学しました。野球好きが高じてスポーツキャスターになりたかったんです。それでメディアの事を勉強しようと。大学二年の夏休みには、日本テレビ主催の「アナウンサー学院」に参加しました。早口言葉やニュース原稿、スポンサーの読み上げなどをして、最終日にスタジオで実際の収録を模してカメラの前で秋をテーマにしたリポートをやったんです。麹町だったので、オフィス街で秋を探すのがすっごく大変でした。コンビニで松茸のおにぎりと温かい飲み物をネタにしたのは覚えてるんですが、緊張しすぎて何を話したかは全く覚えてないです(笑)。

ただ、調べていくうちに容姿端麗、高学歴、帰国子女など、そういった女の子しかなれないって気づいて挫折しました。就職活動ではテレビ局にダメ元で応募して、書類で落ちて「よし、普通に就活しよう」と切り替えました。

好きなことを楽しんでいくと、道が切り拓いていった。

新卒で100円ショップのキャンドゥに入社。配属先は全国で売上が上位のすっごく忙しい店舗でした。アルバイトさんの勤怠管理や商品発注、多いときは数万個も来る荷受けを捌いて。繰り返しの毎日でやりがいを感じることもできず「私なにやってるんだろう…」と、何か違うなぁと感じて退職することにしました。

しばらくはなにもしないでしばらくはダラダラと。その時、東日本大震災が起きたんです。大騒ぎになって、周りは本当に大変なことになっていて。「自分はなにしてるんだろう、ダラダラしてないで働かなくちゃ」って思いました。とにかくアルバイトからでも仕事を始めようと。

フリーターだから時間もあるし、せっかくだから普段できないバイトをしたいなって思ったら羽田空港が浮かんだんです。前職の頃から旅行が好きだったのもありますね。

空港ビル内のレストランで働いたんですが、すっごく楽しかったです。お客さんと話すのも楽しかったけど、バイト先の人が本当にみんないい人で。今でも付き合いのある方ばかりです。この間は中標津まで遊びに来てくれました。

この頃は、週3・4回働いて空いてる日には家族や友達と国内外問わず色んなところに旅行しました。東北と九州は全部行きましたし、関東近郊もほとんど。私「ゆず」の大ファンで、全国ツアーを見に北は北海道、南は福岡まで出向くこともありました。

そうやって飛び回っていく中で、旅行業に就きたいと考えるように。もっと知りたいことがたくさんあるし、行って好きになった場所をPRしたいと思ったんですよね。でも、採用条件が専門学校卒とか、経験とか資格ありというのがほとんどで。とは言ってもこのままフリーターでいるんじゃだめだって思って、「国内旅行業務取扱管理者」を独学で勉強して資格取得をしようと決めました。国家資格で年に一回しか受験のチャンスは無いし、難しい資格なのでほんっとに勉強しました。合格率はだいたい30%くらい。「これを逃したら先延ばしになってしまう」って必死でしたよ。

無事に合格して、JR横浜駅の「びゅうプラザ」に就職しました。JR東日本って、北は青森まで管轄になるんですけど、そこもまた忙しい店舗で…(笑)。

仕事内容事自体はすごく楽しかったんですが、大変なことの方が多くって。基本的に電車の旅行プランなんですけど、受託商品や海外商品も取り扱うので色んなプランや、パンフレットの特徴を覚えなくてはならないんですよね。当然、管理システムも会社によって違うから操作も覚えなくてはならない。相談を受けて、お客様の要望に合うようにパンフレットを見比べて、より安いプランを選んだり、必要な冊子もすぐにピックアップできるようにしないといけない。

最終的には覚えることはできましたけど、本当に大変でした。でも自分が紹介したプランで旅行をしてきたお客さんがお礼にお土産買ってきてくれることがたまにあって。そういう事がモチベーションに繋がりましたし、とても嬉しかったです。

牛に導かれるように中標津町へ。

私、とにかく牛が好きなんです。中標津に来るまでの経緯を語るうえで牛は絶対に外せないです。

きっかけはフリーターの頃に、大学の後輩と旅行で行った九州の阿蘇山で見た牛でした。九州一周をしたのですが、どこに行くにも阿蘇山を経由したんですよね。すると放牧された牛がいて。最初は「のどかだなぁ」くらいにしか思っていなかったんですけど、ある時に柵の方まで近づいてみたら、すっごい人懐こくてすぐそこまで寄ってきたんです。それが本当にかわいくてかわいくて。

その体験があまりにも印象的で、旅行が終わっても頭から離れなかったんです。「楽しかったなぁ、牛に会いたいなぁ」って。もう牛が気になって気になって仕方なくなっちゃって。

阿蘇山は遠くてそうそう行けないので、近場の群馬県や千葉のマザー牧場や、小岩井農場まで牛を見に行きました。観光は「牛のついで」でした。

でもそのうち、やっぱり阿蘇で見たような広い場所で放牧されている牛が見たくなったんです。そこで、牧場の本場といえば北海道だと。いろいろ調べてくうちに中標津町のことを知ったんですが、最初は読み方もわからなくて。しかも羽田空港から直行便があるなんてことも知らなかったから「えっ!?」って。居ても立っても居られず、2泊3日で旅行することに。

町と自然が共存する天国のような場所。

2014年の9月に初めて来たときにもう、「ここはパラダイスだ…」と思いました(笑)。

空港を降りてレンタカーでとりあえず開陽台に向かってたんですけど、途中既に左右に牛がいるんですもん。行けば牛はいるだろうと思っていたんですけど、そんなにすぐ会えると思っていなかったからびっくりして「うわぁあ!パラダイスだ!」って(笑)。車を止めて窓からずーっと牛を眺めてました。

乳搾り体験は一件だけ対応してくださる牧場があったので、そこで哺乳をさせてもらいました。帰る頃がちょうど夕方の搾乳の時間で、牛が牛舎に戻っていく様子にも感動して…。

その日に晩御飯を食べに入った寿司屋さんで、店主に「牛を見に来たんです」って話したらビックリしてました(笑)。なんか話が盛り上がって次の日に色々案内して頂ける事になったんです。漁港の競りとかを見せたかったみたいなんですが、その日に限ってお休みで。代わりに、お知り合いの牧場に連れて行ってもらいました。

当初はドライブして牛を見るだけの予定だったのが大満足の旅になりました。その時、別海町の新酪農展望台や鉄道博物館にも行きましたよ。

予想外に充実した旅で、中標津が大好きになりました。来る前は牛しかいない町をイメージしてたので、商業施設が充実しているのがまず意外でしたね。加えて牧場や自然にも囲まれてるし、人も優しいしで「なんていい町なんだ」と。考えてみたら旅行会社で道東のツアーを受けたことってほとんど無くて。「この中標津をもっといろんな人に知ってもらいたい」って思いました。もちろん牛に囲まれていたいっていうのもありましたけど(笑)。

ここにいるからわかったこと、自分がすべきこと。

地域おこし協力隊の制度を知ったのは職場の先輩の紹介でした。それまで全く制度のことも知らなかったんですけど、ビビッときて。面接は中標津役場で受けました。着任したのは2015年の9月。現在は観光協会の仕事がメインで、電話対応やイベント出店のほか、商談会で旅行会社やメディアへのプレゼンもします。

いままでの暮らしで一番印象的だったのは、ビザなし交流事業で北方領土の色丹島に行ったことですね。地域おこし協力隊として参加しましたが、こんな機会は無いのでとても貴重な体験をさせて頂きました。根室から出発して国後島を経由して。国家間のかなりシビアな問題だし、ピリピリした雰囲気かと思ったらむしろ真逆で。ホームビジットにも参加しましたが、英語が通じなかったので会話には苦労しましたけど、食事中に何回も乾杯するし、どんどん料理も食べさせてくれるしで意外なウェルカムモードに驚きました。

でも元島民の方々のお墓詣りをしたときに、現実を突きつけられた感じがしました。

草刈りも全くされてないし、墓石が無くなってるところもあって、なんだか言葉が出なかったです。ボロボロになった日本人の家も何軒か残されていて「領土問題って本当にあるんだ」って。

正直言うと、中標津に来るまでは領土問題のことはそこまで関心がなかったんです。でも国後島がすぐそこに見えることや、実際に行ってみて自分の中でも現実になりました。自分ができることは、実際に行った私が現状や様子っていうのを本州の、特に若い世代へ発信していくことじゃないかなと思います。

そして、観光協会としても地域おこし協力隊としても、これからも引き続き中標津町をたくさんの人に知ってもらえるよう、頑張りたいと思います。


2017年3月14日収録
インタビュー・撮影・テキスト:倉持龍太郎(過去の写真の提供は小池瞳)

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