TOP >  インタビュー > 移住者インタビュー > Uターン > 石田正覚:限られた環境だからこそ生まれる楽しさ。

石田正覚:限られた環境だからこそ生まれる楽しさ。

ishida

石田正覚

プロフィール 石田正覚(しょうかく) / 34歳 / 別海町出身 / 2009年Uターン移住 / 石田自動車整備工場 代表

ここに辿り着くまでの道のり。

生まれも育ちも別海町。別海市街で父の代から続く『石田自動車整備工場』の代表をしています。5年目になりますが、ここにたどり着くまでの道のりは長かったように思います。

高校時代は家の仕事を継ぐつもりはなく、両親からも「自分の好きな仕事につきなさい」と言ってもらえていたので、姉の影響もあり釧路の看護学校に進学しました。

釧路での一人暮らしは、同じ世代の友達ができたので楽しかったですね!でも2年生になると実習が想像以上に忙しく、日々課題に追われていました。性格的に手を抜くことができず、毎日が苦しくなってしまい体調を崩し、三年生の途中で学校を辞めることに……。

数ヶ月はバイトをしながら釧路で生活していましたが、見切りをつけて別海に帰ってきました。こちらに帰ってきてからは、実家の近くに部屋を借り、家業を手伝いながら勉強をしていました。

新たな夢に向けて。

看護の道を諦めて別海に戻ってきた時のことは、正直よく覚えていないくらいヘトヘトでした。でも、少しずつ「今一番やりたいこと」は何かを考え、建築関係に進みたい!と思い道内の建築に強い某大学を受験すべく勉強に励みました。

一年頑張って勉強しましたが、ブランクは大きく残念な結果に終わりました(笑)。そして、両親から「確実な将来の道を…」というアドバイスもあり、札幌の自動車整備の短期大学へ進むことに。

そこで今の仕事の基礎となる、自動車整備士2級の資格を2年間の学校生活で取得しました。この間は親に世話になっているので、(ススキノなどにも行かず、笑)とにかく真面目に学校に行き勉強しましたね。

整備士の資格を無事取得しましたが、何を隠そうこの時まだ「実家に帰って店を継ごう!」とは思っていませんでした(笑)。なので、釧路のトヨタカローラに就職しました。また釧路に戻ってくることになったのですが、その1年後に中標津へ転勤となりました。どんどん別海に近づいている感はありますが、3年は修行せねばと考えていたので、整備以外にも販売などにもチャレンジしてスキルアップしたいと考えていました。

突然やってきた決断の時。

中標津での勤務が1年経過した頃でした。店の仕事を一人でやりくりしていた父が腰を痛めてしまい、僕が病院へ連れて行くことになりました。そこで病院の先生からの診断を受けた父に言われたことが「店を閉めるか、後を継ぐか……」でした。

突然のことでびっくりしましたが、やはりこれまでの自分を支えてくれた両親のためにも「店を継ごう!」と決心しました。そして、釧路勤務時代からお付き合いしていた彼女とも結婚し、やっと別海に戻ってきました。今は2人の子供にも恵まれ、ここでの暮らしを満喫しています。

家に戻ってきて4年が過ぎました。大変だけど毎日楽しいです。

別海に帰ってきた当初、同級生の仲間同士の繋がりはありましたが、地域の仕組みや地元の事業所等、ここで商売をしていく上での必要な人や組織等の関係性などが全くわからずにいました。そこで、別海の商工会に入り青年部に所属したところ、人との繋がりが一気に縦にも横にも広がりました。

別海町の商工会青年部は総勢40名程度で、全国の商工会青年部の中でも特に活発な活動をしている青年部なんですよ。20歳前後から45歳まで幅広い業種の人が所属しているので、とても勉強になりますし、別海で商売していくのに色々な刺激をもらえます。

0H0A2059

我が家ならではのスタイルでキャンプへ。

休日は、数年前から家族でキャンプに出かけるようになりました。我が家は、DAIHASTUの看板も掲げているので、あえて!!TANTO(軽自動車)で家族4人キャンプ道具も積んでキャンプへ行く! というスタイルを宣伝兼ねてやっています(笑)。

旭川の方や釧路方面などいろいろなところへ遊びに行っています。今年は、十勝エコロジーパークに行く予定です。子供に人気があって、お盆などは予約しないと入れないので、早々に予約して今から楽しみにしています。

自分が子供の頃は、尾岱沼(おだいとう・別海町内海側)のふれあいキャンプ場に行った記憶がありますね。海が目の前に広がり、時期によっては潮干狩りなんかもできるキャンプ場で近場ですがオススメです。

やっぱり落ち着く場所。

自分はここで育っていますし、やっぱり落ち着きますね。子育てもしやすいと思っています。子供の幼稚園の育成会(父母会)代表となり、様々な体験をさせていただきました。お遊戯会では「気合い入れすぎ!」って言われるくらい、親の出し物に力を入れてやってしまいました(笑)。

週1の練習と最後の追い込みでは週3くらいやりましたね。今、別海市街でもやっぱり子供が減ってきているし、一生懸命子供たちの行事を盛り上げようと積極的に参加してくれるのが伝わります。この時に集まったパパ仲間とは、LINEグループがあって、今でも集まったり連絡とったりしています。子供を介して知り合い、貴重な時間を共有できたことは非常に嬉しいことですね。

うちの奥さんは出身が釧路なので、ここが僕にとって落ち着く場所でも、奥さんにとっては初めての場所。最初は友達もいなかったので、こうしたコミュニティが早い時期にできるようなきっかけが別海にもっとあるといいな、と思いました。今では週1回働きに出て、ママ友や職場の仲間もできていて楽しそうです。

自分たちの遊び場は自分たちで作る。

家の仕事以外に、町内のBarを拠点に仲間と音楽イベントを主催しています。もう19年以上続いているイベントで、きっかけは高校の時の国語の先生なんですけど……。この先生、教室に入ってくるときにラジカセを肩にかけて入ってくるような人だったんです。プリントが配られて、それをやっている間に先生のオリジナルミックステープを流してくれるという……(笑)。 しかも、押し付けがましい先生の趣味丸出しという感じでもなく、リクエストも受け付けてくれました。一応、国語の先生なので、歌詞を書き出してコメントもくれて、そのコメントが面白かったのを覚えています。

その先生がHonkytonk Bar PEACEDJイベントを開催していて、卒業後に遊びに行くようになり、元々音楽に興味があったので運営側として混ぜてもらいました。先生はじめ、当時のメンバーが各地に散らばってしまったので、今は自分たちがメインで活動していて、このイベントのバトンを引き継いだ形になっています。

どうしても田舎は人、物、仕事など限られた環境にあります。その中に、都会と同じものを求めてやろうとすると、無理が出ます。そういう考えでここに来ると苦しくなるかもしれません。でも、僕たちは限られた環境の中で、自分たちが楽しめるものを作っていければいいと思っています。自分たちの遊び場は自分たちで作る。自分たちが楽しいと思うことを続けていれば、自然と町も楽しくなると思っています。

IMG_2513

次の世代のために。

10年先、自分の店が残っていればいいな、と「なんとなく」思っていますね。今は両親が事務や細々したことを手伝ってくれているので、2人が引退しても会社がきちんと回るようにしていくことが目下の課題ですね。

音楽イベントもそうで、それぞれ家庭を持ったり仕事などで開催ペースが減っているので、先輩たちから受け継いだ「遊び場」を楽しみながら、どんな形でもいいので継続していければと思っています。

今は、子育ての真っ最中で、毎日いろんなことが起きます。いい日もあれば、あまりよくない日もあります。毎日、何か子供たちに教えてもらっているような気さえします。子供たちがこのお店を続けるかどうかは子供たちに任せます。僕みたいに継いでもらうもよし、何か自分で見つけて進むもよしです。別海に残るかどうかも子供たちがそうしたいのであれば、すればいいと思っています。それが「幸せ」に思うなら、それでいい。

でも、今は、ここ別海の生活が楽しい思い出になって、将来、別海を離れてしまったとしても「別海に戻ってきたいなぁ」と思えるように、自分たちがここ別海での生活を楽しみたいと思っています。

0H0A2087

2016年4月17日収録
インタビュー:廣田洋一
テキスト:山本瑞穂
撮影:NAGI GRAPHICS

 

 

この記事のタグ一覧: | | | | | | | | | | | | |

関連記事