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古谷育世:町の歴史を書くのが私の仕事。

プロフィール 古谷育世 / 29歳 / 赤平市出身 / 2016年移住 / 北海道新聞中標津支局

ずっと転校生。

北海道新聞中標津支局で記者をやっています、古谷育世です。1987年の11月14日生まれ、血液型はA型で29歳です。三十路手前です……(笑)。

生まれたのは空知管内の赤平市。父親の仕事の関係で帯広、札幌など道内を転々として、小学4年に江別に引っ越してからはそこに落ち着きました。

父親は単身赴任が多かったので離れて暮らしてることが多かったですね。反抗期は「普段いないくせに!」って反発してました(笑)。厳しい人なので門限もあったんですけど、「5時までに帰れるわけないじゃん!」など、一つ一つに反抗してました(笑)。今は私も妹も家を出たので両親2人暮らしです。それまで2人で家で過ごすことなんて全然なかったので新鮮らしいです。

転校を繰り返してきたので周りからは「大変じゃなかった?」って聞かれるんですけど、そんなことはなかったです。むしろそれが当たり前だったから同じ場所に留まるほうが違和感あるというか。この地域のように、父ちゃんが開拓で入ってきて、息子もその息子もそこに根を下ろすほうが、私にしてみたら特別です。

高校の通学は、春夏秋は自転車で。冬は電車を使うんですけど、駅から計5キロくらい歩かなければならないので嫌でした(笑)。でもバスは冬だと平気で40分、50分遅れてしまうので。

苦手科目なし+京都+史学+通学5分

私、公務員試験の勉強をしてたんです。学校の試験は数学と英語が赤点ばっかりで「受験なんて無理」って思ってたし。そこで父親が、受験科目に英数がない大学を探してくれたんです。京都女子大学の文学部史学科でした。父親との共通点は歴史が好きなことで。大河ドラマを一緒に見てました。その時に、修学旅行で行った京都を「いい所だった!」って話したと思います。それを覚えていたのか「京都女子大に英数なしでも受験できる学科があるぞ。史学科だ。もし行きたかったら……行ってもいいんだぞ?」と(笑)。さらに寮が学校内にあるから親も安心。学食があるから仕送りも少なく済むし。

極めつけに、ズボラな娘が重い腰を上げたのは「寮が学校内だし・・・5分で通学できるぞ!」という言葉。夢のような生活が待ってると思いましたね。父ちゃんすげぇ! って今でも思います(笑)。

北海道の歴女、京都デビュー。

史学科の同級生は「すごい人」がたくさんいました。歴史が好きで来てる人ばかりなので個性が強くて強くて。水戸黄門シリーズ全制覇、再放送も全部見てるって人とか、「源氏物語」と名の付くもの全部に目を通す源氏物語オタクとか。私も歴史好きって理由で「変わってる」と言われてきましたけど次元が違いました(笑)。

ちなみに私が歴史で一番好きなのは、赤穂浪士です。京都は、江戸時代の政治の中心ではないけど時代が動く様子が感じられて、行ってから好きになりました。もともと政治史や宗教史より「民衆が何をしていたか」に興味がありましたし。

↑卒論執筆中

大学周辺には耳塚や秀吉の墓があったりして、何で徳川期に秀吉関連の遺跡が残されたのかが不思議で。卒業論文のテーマにして、時間を見つけてはフィールドワークで京都市内をたくさん歩きました。大学は清水寺に近いところだったんですけど、路地に入ると段差があったりして、歩くだけで発見があって楽しかったです。

歴史好きは今でも変わらないです。録画してある歴史ドラマを休みの日にまとめて見るんですけど、「あれっ?」って思ったら停止して日本史辞典引っ張り出してきて、「これ本当?史実では……」って照合しながら見るのでなかなか進まない(笑)。

子供の頃も調べ学習が好きで、はまったら抜けられない性格だったんですよね。特に長期休みの自由研究は、宿題ほったらかして毎年金賞を受賞するくらい本気で取り組んでいました。

就職難。

卒業後に北海道へ戻る気はなかったです。想定すらしてなかったですね。父親は「北海道で就職先を探せばいいじゃないか」と言ってましたけど、私は「京都で一旗あげるまで帰らない!」と言って出てきたので(笑)。それに、あっちこっちで就活するより関西周辺に集中したほうが良いなと。

でもリーマンショックの翌年だったので、全然決まりませんでした。300社近く落ちたんじゃないかな。そのことを父に話したら、「そんなに落ちてるってことはお前……社会に必要とされてないんじゃないか?」とか言うんですよ!「なんでそういうこと言うの!」って結局喧嘩になったんですけど(笑)。

4回生の1月になっても決まらなくて、「さすがにやばいな……」ってぼんやり考えてたら就職課の人が社会福祉法人を紹介してくれたので、受けてみることに。

面接が始まると、まず「お酒は飲めるか?」って聞かれて「これ面接?」って思いながらも、「スポンサーがいれば日本酒は飲みます」とか答えて。ほとんど世間話でしたね。採用の連絡があった日は卒業旅行中で、私以外みんな進路が決まっていました。これがダメだったら北海道に連れ戻される……と思っているタイミングの連絡だったので嬉しくてその夜は友達皆と大宴会でした(笑)。父親にも「社会で通用しない」と言われたし、社会に必要とされている実感がなかったので嬉しくてその場で返事したのを覚えています。

さぼったリングと年表整理。

最初の仕事は「トイレ掃除」でした。採用はしたものの新卒の事務職を雇ったのは初めて、私も業界未経験ということで何をさせたらいいのか職場もわからなかったみたい(笑)。

「トイレ掃除するために大学出たわけじゃない……!」と、いらだちながらもフタを開けたら……すごい汚くて!(笑)。「さぼったリング」ができてました!福祉施設はトイレがきれいなイメージだったので「きれいじゃなきゃいけない!」と思ってしまって。

―私がこのトイレをきれいにする。「さぼったリング」を落としてやる!!―

あまりの汚さに逆に火が点いたんです。それからは効くと聞いた薬剤とか道具とか、手に入るものは全部試しました。「これじゃない……これもいまいちだなぁ……」と、毎日いかにトイレをきれいにするかに全精力を注ぎました。パートのおばちゃんに聞いたり、仕事帰りにスーパーで掃除用品をチェックしたり。あーでもないこーでもないって、最終的にはいろんなところに電話して聞きまわったり。そしてたどり着いた必殺技が「サンポールで3日漬け置き」でした。2か月くらいかかりましたね。

トイレ掃除の次は、法人設立30周年の記念誌をつくるための年表整理。普段から資料整理をしてなかったみたいで、書類は段ボールに突っ込んで倉庫に「ボン」って入れているだけの状態でした。段ボールの山が30年分ですから。最初見たときは「これ無理だ」って思いましたけど、

―やってやる。私が年表をまとめてやる!!―

また火が点きました。受付業務もあったので、まとめるまでに1年くらいかかりましたね。整合性なんて求められていなかったと思うんですけど、気になることがあると調べたくなっちゃって(笑)。この業務は職場の歴史をまとめるということですから、大学の時の勉強に近いものがありました。それよりも大変だったかもしれません。だから終わったときは達成感がありましたね(笑)。

記者、報道、北海道津々浦々。

社会に揉まれていくうちに道産子の大らかな気質とか、そういう良さに気付き始めて「やっぱり北海道で働こうかな」って思うようになりました。そのタイミングで北海道新聞の募集がありましたし。

それまでも毎年、東京で面接を受けてはいたんですがほとんど旅行気分で(笑)。だから落ちても大して気にしていなかったけど、その時は退路を断つ気持ちで「絶対入る」って集中したら最終面接まで行き、無事採用になりました。

最初は本社配属になり、事件・事故を担当しました。スピード感のある職場で、のんびりした性格の私には大変でしたね。でもいろいろな知識を得られましたから、辞めたいとは思いませんでした。

本社で8か月ほど働いた後、旭川に異動。前半はスポーツ担当になって高校野球などの取材をしてましたが、野球のルールを全然知らなかった(笑)。

後半は旭川市役所で、旭山動物園の取材など担当していました。「今日はキリン元気かな?」って動物の様子を見に行くのが仕事だったんですが、ずっと見てるとだんだん愛着が湧いてくるんですよ(笑)。「キリン」じゃなくて「ゲンキ(キリンの名前)」として認識するようになって(笑)。

旭川には全国紙もいて、色々な人と交流ができました。一緒に飲みに行って仕事の話をしたり、時には愚痴を言い合ったり。楽しかったですよ。

町の歴史を書く仕事。

そして昨年の3月に中標津に来ました。

この仕事は歴史資料を作るのに近いのかなって思うことがあって。大学時代に「第二次世界大戦で大学の近くに爆弾が落ちた時の住民の声をまとめる」という課題があったんです。それで情報収集のために当時の地元新聞に目を通したら、わかることがたくさんあったんですよ。地方の新聞だからこそわかる、「当時、地域の人が何を感じたのか、町はどんな様子だったのか」が書いてありました。

仕事では役場のことやほらりのこと、地域のイベントのことなど本当に色々なことを書きます。色々な記事を書く分、たくさんの人に取材して知り合って色々と知ることができるからすごく楽しいです。いつかまた異動はあると思うけど中標津を離れたくないですね。

↑ほらり協議会の記事。

だからここにいる間は仕事にじっくり取り組みたいです。まだまだ知らない人も知らないこともたくさんあるから、時間は全然足りないです!


2017年2月3日収録
インタビュー・撮影:廣田洋一(過去の写真の提供は古谷育世)
テキスト:倉持龍太郎

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